君が笑えば

いのちに【その他大勢】なんて、無い。

誕生日前夜に

身内の殆どが県外在住のため、普段は母親を通じて彼らの近況を知る。
そして今日、初めて知らされた現況に衝撃を受けた。
私は明日で44歳を迎える。
たまに読む新聞のお悔やみ欄に同年代の方の名前を見かける度
「最早いつ何時何があってもおかしくない年齢に差し掛かったんだな」
と痛感していたのだけれど、身内のそういった話を聞いて、心に重石を乗せられた気分になった。
それまで順風満帆だった家庭でも、誰かが例えば大病を患ったり、不慮の事故に遭ったりした事がきっかけで状況が一変してしまう。
【人間はいずれひとりになり、ひとりで天に還ってゆく】
と頭では分かっていても、これまで当たり前のように傍に居てくれた人を突然喪う・喪う恐れがある事実を前に立ち竦み落胆する。
元々繋がりが希薄だった家庭に育った私でも、ほんの少し、理解できるようになった。

喪う痛み。
喪った事に気付いた瞬間に襲われる孤独感。

ひとりで生きていくのは自由度が高いしラクではあるけれど、この孤独感とも向き合う事になる。
誰かと連れ添って生きていくのは不自由な面も出てくるけれど、【分かち合い】が出来るし、互いの心のよりどころになれる。

母親の話を聞いて
「人生って、選択の連続だよね。しかもどの選択肢も、正解にも不正解にもなり得る」
などと話しながら、大リスペクトする美輪明宏さんが仰る【正負の法則】を思い出した。
しかし、死は平等に訪れる。

死と向き合う。
いのちと向き合う。
どんな気構えでいたらいいんだろうか。

こんな時は読書に限る。
いつものようにぴん!と閃いて、日野原重明さんの本を求めたのだった。
感想は、また追々。



そして。
母と散々話し合った結果
「人生のパートナーはいる方が良い!」
という結論に達した。
お金よりは、心のよりどころ。
特に働く障害者のひとりとしては、特性自体は理解されなくても
「しんどかった~!」
とか
「きちんと評価してもらえた!」
といった事を打ち明けられる人が身近に居るに越した事は無い。
と、転職したばかりゆえにひしひしと実感している(環境の変化に対応するのが大変な発達障害者です)。

あとは前回記したとおり、実はかなりの寂しがりやでもあり。
無償の愛に憧れるし、それがすんなり出来る人になりたい思いはありつつも
「やっぱり煩悩は捨て切れないな」
という事で、一応の決着をみた(んだろうか)。

あ、日付変わった。
アラフォーのラストイヤーのはじまり。
ひとつ歳を取る毎に
「よもやこの年齢まで生きているとは」
という戸惑いと
「って事は、私が出会うべき人・学ぶべきものがまだまだあるんだな」
という妙な確信を覚える(しかもこの確信は年々強まっている。何故だ)。

まあまずは、健康第一。
健康な体であれば、恋も仕事も出来る。
ある日、プロテインのドリンクを頂いたけれど
「・・・いやうちら、プロテインよりはグルコサミン・コンドロイチンがしっくりくるがんな?」
とそちら方面のトークに花を咲かせたのだった。
サプリ苦手だから摂る気は全く無いが。
リアルに沁みる歳になったんだな、としみじみしている。