君が笑えば

いのちに【その他大勢】なんて、無い。

一掃

なんと、3か月近くブログを放置していた。
先日他のブログに投稿されている方と
「やっぱり忙しくなると更新がおろそかになっちゃいますよね~」
と話していた。
他のSNSと違って、ブログの投稿に至るまでは時間を要する。
それこそTwitterの延長線上で、他愛も無い事を呟くように書けば良いのだろうけど。
大体このブログの宣伝のために始めたのに、めっきり本末転倒となってしまっていた。

ということで、タイトル変更。
ダイアリー以来、久々にはてな記法も使いながら。
本業(?)復帰。

しかし更新期間が開いてしまうと、どの辺から書くか迷ってしまうのも相変わらずだ。


この半年強の間、世の中的に(ついでに個人的にも)【引っくり返る】出来事が多い気がする。
昨今喧しいLGBTに関する発言に限らず
「それ差別ですよね?」
と問いかけたくなる問題に出くわす事も。
とはいえ、差別意識も戦前を想起させるような風潮や慣習も、水面下で連綿と続いていた事。
これが一斉に炙り出されているのが今現在なのだと思う。
クリーナーを投入し、ひと回しした後の洗濯槽のうじゃうじゃ感。
こんな状況が暫くは続くであろう予感。

ならば、と。
今は自分自身と置かれた状況を見詰め直し、立て直しを図り始めたところ。
どんな事が起きてもパッと頭を切り替えられるよう、心の荷物もなるべく軽く。
変に拘らず、風通し良く。


差別。
子どもの頃に聞かされた特定の集落に対する云々に始まり、今も続く障害者ゆえの不当な扱いに至るまで、この2文字とは常に向き合い続けている。
「障害者差別解消法が出来て久しいのに、当の行政(自治体)に関わる人間が差別していた」
というニュースに
「やっと表に出てきたか(経験者)」
と失笑しながらも、差別意識の根強さと恐ろしさを感じた。

精神障害者発達障害含む)は休みがち・問題起こしがち・すぐ辞めがち。
というレッテルを貼られ、就労でも不当な扱いを受けがち。
ハローワークで職員さんに暴言吐かれた事も度々あった。
当然の事ながら、他の人たちと同じように仕事をこなせる人も大勢いる。
「私も数年今の職場で働いてるけどな~」
と思いながら、現状を知るべく障害者就労の専門誌を読んでみた。
企業側の言い分が簡単に想像出来るぐらい、見事に締め出しを食らっていた精神障害者
私が就活で悪戦苦闘していた頃と何も変わっていない。
むしろ、差別意識の根強さを思い知らされた。
「自分で稼いで生活したい。無理してでも働きたい」
と話す人たちともかつて関わったけど、今なら
「門前払いするって事は逆に、生活面でも公的支援受けて良いよ!ってお墨付きもらえたんだよ。そのお金で体調管理に専念出来るよ」
って言葉をかけるだろうな。
こうして障害者を一律に働かせよう、というのもよくよく考えるとおかしな話。
選択する自由は我々にもある。
大体【働かない人は何も生み出さない=要らない人たち】って何なんだ。
特性や体調上の理由で就労が難しい方たちに失礼だよ。
働く以外の社会参加のかたちがあって当然、のはずなのに。
この辺りにも、差別意識が見え隠れしてならない。

と。
【差別】に関してだけでも芋づる式にぞろぞろと出てくる。
この話はほんっとに長くなってしまうので、追々。

今年は個人レベルから政治・経済、世界レベルに至るまで分岐の年かなー、と考える。
上半期が【炙り出し】なら下半期は【一掃】。
炙り出された旧い慣習や意識、これらをどう捉えるかで後々はっきりした変化が現れてくる。
自分を見詰めて意識を改める事、原点に立ち返る事が周りにも良い影響を与えるみたい。


こんな感じで、ふわっと降りてくる直感も交えながら今後もゆるゆると。
天変地異も含め、世の中に乱れが起きるとやたらと第六感がはたらいてくる。
言葉がどんどん降りてくる。
生身の人間は信じている人に話したりこうして書き終わった後、ぐた~っとなってしまうのだけど。

(※この手の話を信じない方、ごめんなさい!と言いつつ、これからもしれーっと綴っていきます)