Love Letter ver.2

神経発達症とHSPを併せ持ちながら今を生きる。その日常と思うこと。

選ぶはきのこか、たけのこか。

 

すごい昔から聞く論争(?)で

「またかや?」

と思ったのだが、当の明治さんプレゼンツだったのか。

かく言う私はたけのこ一筋を長らく公言していたが、最近の【大人シリーズ】だと実はきのこが好み。

ゆえに【新党・どっちも党】になるんだろう。

 

お菓子やものを選ぶのは、気がラクで良い。

さてこれが人間関係や、自分の今とこれからに関して選ぶとなると。

もしくは、選ばれるとなると。

途端に弱々しい自分がおずおずと現れ、気を張っている自分とああだこうだとやり取りするのは今も変わっていない。

毎年この時期、新卒就職解禁のニュースを読むと、企業を選ぶどころか選択肢すらなく門前払いを喰らった卒業当時を思い出す。

選んでみたい。

選ばれてみたい。

ようやく自己否定の渦からは抜け出しつつあって、これまでの自分を

「よく頑張った」

と思えるようになり、人に言われても素直に受け入れられるようになった。

が。

大勢の中から、しかも自分自身も納得して選ばれた経験が無いため

【選ばれた人にジトーッと暗い眼差しとゆる~い拍手を贈る自分】

のイメージが浮かんでくる始末。

自分より上だろうな、という感じの人が現れると

「あ、どうぞどうぞ…」

と引っ込んでいくのも最早日常茶飯事と化していた。

選ばれなくてもなにくそ!となれる闘争心すら持ち合わせていない。

恋愛面も含めて、思い切りの良さが欲しいな~と切実に考える。

「オトコの事は(他の)オトコで忘れる」

みたいに(←実際に聞いた話)、思考パターンを書き換えられるようになりたい。

と、ぐじぐじ思い悩む春の夕暮れ。

 

春休みも近くになり、週末ともなるとそこら中にカップルがうようよしているので余計に考え込んでしまう。

上手く立ち回れない自分は一体(涙)

 

 

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選ばれなかった記憶、ひとつ思い出したので追記。

 

子どもの頃、習字教室で初めて書いた物を提出して結果を待っていた。

ところが。

同じ時期に入った子達はみんな新10級の認定を受けたのに、私だけが何も無かった。

当時の噂では、この級は誰でも出せばもらえると聞いていたので

「そんなにわたしのかいたのはいけん(=だめ)かな…」

と酷くショックを受け、親に訴えて辞めさせてもらった。

後にこれも噂として、先生が本部(?)にまとめて送る際に私の分を入れ忘れていたらしいと聞いた。

でも本当についうっかり、とはいえ自分ひとりだけ認められなかった悲しさ・悔しさが消える事は無い。

障害特性の影響もあり(後々母親から聞いた)学校でも家庭でも、そして人間関係でも否定されたり仲間はずれにされたり果てはいじめにあったりと、認められ肯定された記憶がこの当時は全く無い。

その忌まわしい記憶が積もり積もったまま、今に至っていた。

今でも【選ぶ・選ばれる】事に関して極端な拒絶反応が出てしまうのはこのためだと思う。

人に頼ったり委ねたりせず、何かとひとりで頑張ろうとするのは、自分は認められていないという意識が奥底にあったからだと。

この頃ひとりでもこんな私を肯定してくれる人がいたら、今の今まで迷走する事は無かったかも知れない。

けれど迷走し続けたからこそ、今の自分があるのも確かで。

「よくがんばったね」

と、ちょっとは胸を張って言ってみても良いんじゃないかとも思っている。