君が笑えば

いのちに【その他大勢】なんて、無い。

このままで

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まさかの2夜連続更新である。

2017年もあとひと月。

今年の出来事は今年のうちに。

 

来年こそは、マメな更新を目指そう。

 

 

最近、プライベートで耳栓を着用するようになった。

耳を保護するものの世話になるのは、診断直後に通った施設で1年弱使ったイヤーマフ以来。

当時はイヤーマフとパーテーション必須で、机を壁に向けて置いてもらって作業をしていた。

人前に出るのはおろか、人と喋る事も苦痛でしかなかったから、今現在に至るまでよくやったよなあ・・・と我ながら。

先日も母親に発達障害に関する本を勧めたついでに

「もう少し感覚過敏の対処法を知りたい」

と、久しぶりに教育・福祉関係の専門書をざっと立ち読み。

やはり増えた。

今でこそ精神医学から子育てに至るまで幅広いジャンルで取り上げられているが、当時の私は数少なくしかも難解な専門書を四苦八苦しながら読み漁り、独学で対処法を学んだ。

「早期の診断と適切な支援を」

と言われるけど、成人期に初めて診断を受ける人も未だに多い。

こういう人たちのための支援の必要性がやっと言われるようになった?かな?という現状。

長きに渡るひきこもりの人たちへの支援もようやく、始まろうとしている(やっとだよ・涙)。

通院も薬も特別な配慮も無しで働けるよう試行錯誤を続けたのは、今思えば良かったのかも知れない。

恐ろしく年数かかってしまったけれど。

 

とはいえ、身体には随分と無理に無理を重ねてきた。

結局のところ、公表した上で理解と配慮をお願いしても

「どう接したら良いのか分からない」

という戸惑いの表情を向けられ、スルーされてしまう事がほとんどだった。

そこで、恰も定型発達者のように振る舞う事を自分に課すようになっていた。

知り合う人ひとりひとりに対して、言葉遣いや場の空気と共に

「この人は発達障害、障害者をどう思っているか」

「特性に纏わる話を振っても受けとめてくれるかな。ドン引きされたりしないかな」

といった事を常に考えながら。

前回記した【凝り固まった思考の人】と相対し否定されるのも辛いけれど、いちばんキツイのが上記のような人たちや、得体の知れない生き物を見るような目で見てくる人たち。

あれは本当に辛い。

今でも。

 

公表すると決まって聞かれるのが

「『こんな配慮をして欲しい』というのは、ありますか?」。

それに対し決まって答えるのは【疲れやすさ】【環境の変化】【感覚過敏】への対処。

けれどこれらはほぼ自分で行なっているため、実際に公私共々望むのは

「コミュニケーション含め大らかな目で見守り、受けとめてもらえれば」。

職場でもプライベートの人間関係でも、風通しが良ければ良いほど特性のコントロールがやりやすくなる。

というか、まず表情に如実に現れる。

今思うと、健常者のように振る舞う事を暗黙のうちに強いられていた事が、元カレにお別れを告げるきっかけになったし。

その頃からなんとなーく

「このままの自分でいさせてくれる人や居場所があれば」

との思いが沸々湧いてきて、この1年で決定的になった。

 

否定されようがスルーされようが、私がこの脳、この体で生きて行く事に何ら変わりは無いのだ。

もう、無理を重ねて自分を疲れさせない。

緊張を強いてくる人より、笑っていさせてくれる人と濃く長く繋がっていこう。

そんな決意を持って先月の誕生日、参拝におもむいたのだった。

「私は幸せになっていいんだろうか」

などとネガティヴな念が次々と現れて苦しかったけれど、参拝直後に事故現場(以前この場所で死亡事故もあった)に遭遇し無事を祈った後。

「これは『生きなさい』ってメッセージを送られているのかな」

ふわりと言葉が降りてきた。

 

自分で作り上げていた縛りを、解き放つ。

不快なノイズを遮断し、緊張とストレスをも解き放つ。