君が笑えば

いのちに【その他大勢】なんて、無い。

手の鳴るほうへ

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久しぶりの、【なんでこれ撮ってupしたの?シリーズ】。

なんか撮りたくなった、というだけ(もしくはこの日汗ばむ陽気で意識がほわほわしたままカメラを向けた結果、という説)。

 

本題に入る前に。

syndication.twitter.comなるものが

「まーだだよー」

と、キーを叩こうとする手を止めにかかってきた。

これ、何なんだろう。

 

さて。

するんと43歳となり、早くも一週間が過ぎていた。

今回書くにあたり

「う~、何しとったかいな私」

と湯船に浸かりながら思い返してみた(お風呂や散歩中にブログの内容を考える事が多い)。

そうだ、誕生日当日八重垣神社に参拝したのだった。

この日は精神的に弱っていて、鏡の池に浮かべた占い用紙の言葉に涙ぐみながら、割合素早く沈んでいくのを見届けたり。

その後晴れ晴れとした気分で神社を後にしたら、衝突事故の現場を目の当たりにしたり。

報道は一切されなかったけど、運転していた人は大丈夫だったんだろうか。

 

以前にも書いたと思うけど、手を合わせる時は無心だ。

ただ今回、当初は誓いの意味合いもあった。

ところがこの前日に母親とちょっとした諍いになってしまった。

元々父親やその一族との考え方(極端な男尊女卑である所とか)が合わず、中学生の頃から

「姓を変えたい。父親の姓を名乗りたくない」

と言い続けていた。

そして父親が亡くなって以降、母親と話し合う機会が増えたけれど、嫁いだ家に従う母親の考え方に付いていく事に苦痛を覚える度合いも増えた。

この日も口喧嘩になり、酷く落ち込んだまま松江に向かった。

「年老いていく母親を一人にしておく訳にはいかない」

「でも、自分の生き方や考え方を大事にしてもいいじゃないか」

このふたつの思いがぐるぐると頭の中で廻り続けていた。

私にとっても私に関わる人たち皆にとっても、これだ!という答えはどこにあるんだろう。

 

「私は、幸せになっていいのかな」

 

参拝に向かう道すがら、ふと出た言葉。

日頃Twitterなどでもネタとして

「しあわせになりた~い!」

と公言しているのに、実態はこれである。

理由ははっきりと分からないが、どこかで自分に蓋をしてしまっていたのだと思う。

「幸せになんかなれない。なっちゃいけない」

と。

 

一般的な家庭とは違い、永い間まともなコミュニケーションが無くここ数年でようやく母娘らしい関係を築いてこられたけれど。

おっそろしく遅まきな親離れ・子離れの時期がやって来たように思う。

これを踏まえて、の秋以降である。

何かもうやる事考える事が多過ぎて、始終頭を遣いっ放しな感じ。

日々の慌しさも重なり、地味に体調を崩してしまう始末。

久々にオラクルカードを引いたら

「今のあなたには休息が必要です」

というメッセージが出てきた・・・。

 

まとまらない内容になってしまったが、如何せんこの体調ゆえ、続きは完全に快復してからにしようと思う。

 

手の鳴る方へ。

 

何故か最近、この言葉が繰り返し繰り返し頭の中に浮かんでくる。

これまた久々にタイトルから広げて書いてみたのだった。