Love Letter ver.2

アラフィフ間近の発達障害者が綴る、見たまま・感じたままの記録

選ぶ自由、選ばない自由。

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スピッツの広島ライヴから、もう1か月以上経ったんだなあ・・・。

合間を見て撮っているもののなかなか更新が出来ず、結局こんな感じで写真が溜まっていく(涙)

ちなみにブログのカテゴリーも、やっと付け方を覚えた。

確か100記事越えているはずで

「いい加減まとめなきゃなー」

と思いつつも、ようやく。

そんなこんなでまずは言い訳を。

 

今年も某チャリティ番組と、裏の『バリバラ』で私の周りも盛り上がった。

相変わらず、あいっかわらず!

障がい者と言えば身体と知的かい!!」

と激怒する一方で

「これ不謹慎な言い方になるかもだけど・・・結局はテレビ映えの問題じゃない?」

などと冷静(?)に話し合っていた。

そういえば昔、啓発イベントに駆り出された上記の障がいの人が

「(自分は)見た目が分かりやすいし、広告塔みたいな役割だろうから」

とこれまた冷静に話していたものだ。

大体精神・発達障がいの人は、パッと見ただけだとそれと分からないらしいし(診断名や症状の程度にもよるが)。

なんだろうけど。

アスペルガーの私も、自分なりに頑張ってるんですが・・・」

鳥取の端っこから、こそっと呟く。

 

そんなチャリティ番組で蚊帳の外の立場である私は『バリバラ』さん宛てにツイートをおくった。

「発達障がいの私が【したいこと】と言えばズバリ、恋愛と結婚です!」

・・・正直、やっちまった感がすごーく(爆)

とはいえ、定型発達の人からすれば

「ナニ言ってんだコイツ」

と失笑ものなのかも知れないけど。

発達障がいを多少なりともご存知の方なら、この発言の意味するところをご理解頂けるかと思う。

ASDといえば、コミュニケーションにまつわる困難が主な特性である。

普通(?)に恋愛・結婚願望を持ち合わせていた私は

アスペルガーの恋愛は難しい」

「結婚しても長続きせず」

という、事例を絡めた記事や掲示板を見てひどく落ち込んだものだった。

が。

診断名を名乗った上で定型者の社会に戻って、早8年。

人間関係の構築やそこでの対処にも、ほんのすこーし自信がついてきた。

これを踏まえて今一度、の発言と相成ったのである。

 

ユーモアと皮肉を交えながら【夢を叶えたい(?)】方々のVTRを見ていて

「私の恋活や婚活は定型さんのそれとあまり変わらないから即『撮れ高が足りない!』ってオチになっちゃうんだろうなあ」

と、こちらも皮肉交じりに思った次第。

 

それにしても。

障がい者は【頑張らなきゃいけない】んだろうか。

「社会参加しよう」

「一般の人と一緒に働こう」

などと頑張りを強いている割には、こちらには歩み寄ってくれていないよね?

と、日々働いていてすごーく感じる。

法律が出来てやれ支援だ理解だと騒ぎながら実際は

「会社のやり方に合わせてもらいます」

という事例も未だに多いし(自分含む)。

仕事以外でも

「特性上難しい」

とされている事に対して

  • 断念して、他の出来る事に取り組むなど発想を切り替える
  • より実現可能な手段を使う
  • 難しいとされても、諦めずに取り組む

といった選択肢が考えられる。

そこで障がい種別や症状の程度に関係なく、選ぶ自由・選ばない自由がある。

私はというと相変わらず仕事での細かいミスをちょいちょいやらかしては凹むし、気分が落ち気味の時はたまに

「人と関わらずに年金となまぽもらってひっそり死んでいきたい~」

とかヤケクソ気味に考える時もあるけれど。

でも度々記したように

「人と関わるのが好きで・誰かのお役に立つのが嬉しくて・ひいては自己肯定が深まっていく」

のが楽しいから【チャレンジする】のが基本姿勢。

だから

「障がいなんだから諦めたら」

と言われると、しかめっ面で

「は???」

となっちゃうのである。

とにかく、障がい者を何でも一律に見て扱われるのだけは心外。

診断名が付いても、自他共に認める特攻隊長気質は変わらない。

受け身じゃない障がい者でありたいな、と見ていて改めて決意を固めている。