Love Letter ver.2

アラフィフ間近の発達障害者が綴る、見たまま・感じたままの記録

All My Loving

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今年のツツジの開花は例年より遅く、この時はまだ咲き始め。

この蒸し暑さであっという間に見ごろ~散り始めになってしまった。

そして瞬く間にGW突入。

私は最近の疲れがドッと出たのと月の痛み(Twitterには胃痛と書いたが、ホントはこっち。流石にこの手のネタは書きにくくなった今日この頃)でダウン。

体の悲鳴にきちんと応えておやすもう、という連休である。

でも明日はお出かけしたい。

うずうず。

 

前回の【あまーい言葉を言ったり書いたりが極端に苦手問題】の続き。

先ほど、湯船に浸かりながら(←朝風呂好き)ふと気付いた。

「そういえば私、今まで褒められる経験が無かったな・・・。ボロクソ言われ叩かれ、果ては何度も酷いイジメに遭ったし」

容貌は酷かったし勉強は全くついていけないし極端な運動オンチだし、おそらく自閉の特性ゆえの問題も多々あったとは思うけど。

「何でこんな事もできないの」

極端に自分を卑下する心は着々と根付いていった。

で。

診断を受けてから数年間、就労支援施設に通ったのだが、この時も褒められた記憶が無い。

というより、どうも私は【そつなくこなす人】と昔から思われてもいたらしい(もちろん上記の通り、出来る事出来ない事に極端な偏りはある)。

でもこれも、決して良い動機からではない。

他の障がいの人たちが支援者さんやメディアに

「よくがんばったね!すごいね!」

と取り上げられ褒めちぎられする事に嫉妬し、生来の負けず嫌いに火がついたからだった。

昔からどんなに頑張っても褒められる事は無く、寧ろ、欠点を叩かれ続けた。

だから、他の人が体調や能力面の理由で手をつけられなかった作業までもこなして密かに優越感に浸っていた(とはいえ当時は無理が祟り、後に体調を崩している)。

今こうして書いていても、やなヤツだな、どす黒いな、って思う。

 

このブログを続けていて気付いたのは、私の場合、障がい特性以上に成育歴ゆえのハンデがとても多い事。

理解して支えてくれる(褒めて伸ばしてくれる)人が周りに1人でもいたら、ここまで卑屈になり、劣等感と嫉妬心に苛まれ続ける事は無かっただろう。

「自分を褒められないどころか卑下するばかりなのだから、そりゃあ人を褒める言葉なんて簡単に出てくる訳無いよね」

今改めて障がい者以外の人とも関わるようになって、自分の周回遅れや経験値の無さや低さを痛感し、その都度チクチクと痛みを覚えてしまう。

 

人それぞれの【あたりまえ】がある。

持っていてあたりまえ。

持っていなくてあたりまえ。

どちらが常識で正解、なんて事は本当は無いのだ。

無い筈なのだ。

 

20代の頃に一度だけ、箱庭療法を受けた事がある。

取り組む前は

「人間への憎しみ満載のドロドロした血生臭いものになるだろうな」

と思っていたのだが、フタを開けてみれば『となりのトトロ』のような世界が出来上がっていた。

今こうして細々とupしている拙い写真たちもそうだ。

以前の記事に書いた、成育歴の反動で人や生き物に手をかけるどころか、とても愛おしく感じてるんじゃないか。

日々覚え続けているチクッとした痛みや相手に意思が伝わらず凹んだ時も、憎むよりまず、どうしたらいいかと考え始めているじゃないか。

 

今までのように適当にキャラ作って、上辺だけで人と繋がったりお付き合いしたりは出来る(触覚過敏も和らいだし)。

でも。

相手の見え隠れする心の襞に触れてみたいと願う時、まず私が触れられてもいいと感じる心のありようでいたい。

纏わず盛らず、裸の心で。

 

そして、言葉も。

んが。

 

先日地元のお店でねぎ塩ラーメンを食していて、ふと

「そういえば美味しいもの食べる時って無言になるよな」

と気付いた。

ここまでは誰しもある事かと思うけど、私の場合例えば本当に楽しかったライヴは内容を失念するほど記憶が飛び(脳内でおぼろげな映像は残る)、勢いで飲みに行き、そのお店での出来事はしっかり覚えてる・・・という事がよくある(爆)

あと、花や景色を見て

「綺麗だな」

と思ったらよほど親しい人に対しても、まず写真を撮って

「○○(場所)に来てるよ!」

と一言添えただけのメールを送ったり。

どうも私は、感情を言葉よりも行動で表すタイプらしい。

 

しかしやはり

「俺の背中を見ろ!」

じゃなくて、ちゃんと言葉にした方がいい事もあるんだよな(ごく最近それを痛感した出来事があった。申し訳無い)。

叩かれ続けた傷が深く、ごくたまーに褒められても居心地悪い私ですら、後々にじわじわ効いてくるから。

褒められて伸びる、というのも何となく分かる気がする。

 

コミュ障。

障がい特性でもあり、成育歴由来のそれでもある筋金入りな自分。

人との繋がりや言葉でのやり取りが増えると、それらも治ってくるんだろうか。

どうなんだろう。

 

 

 

 

場の流れで発された言葉とはいえ、大きな目標を持って生きる事はかっこいい。

その姿も十分かっこいい。

もはや

「ほれてまうやろ!」

レベルだな。

と最近、すごーく思った事がある。

 

やはり言葉で表す事も大切なのだな。

後から後から、じわじわと心の襞に沁み込んでくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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