Love Letter ver.2

アラフィフ間近の発達障害者が綴る、見たまま・感じたままの記録

love letter

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本日2度目の投稿。

いつものように内容とタイトルを考えていて、どうにもこの言葉しか浮かばなかった。

という訳で、ブログと同じタイトル。

このタイトルでブログを書く意図については以前のお題で説明したので割愛するけれど、こんな超個人的な内容の文章を読んで下さっている方がいらっしゃるとはゆめゆめ考えもせず(ありがとうございます!)。

その数が増えている事に嬉しい悲鳴、と同時にビクビクしつつまずは前回の続きから。

 

「そもそも、鏡を見る事や写真を撮られるのを嫌がるようになったのはいつ頃だったんだろう」

思い返してみると、やはり発達障害の特性が現れ始めた小学校低学年だった。

学校でも家庭でも

「なんで皆と同じようにできないの!」

「この子は問題児だ」

「頭おかしい。へんな子」

といった事を先生たちからも面と向かって言われ続け、酷いイジメにも遭った。

でも、今振り返って思うのは、障がいの有無や家庭環境云々ではなく、それに対する周りの理解や対応の方が子どもの成長には大事な事ではないかと。

「みんな、このままのわたしをうけいれてくれている」

という基礎があれば、ここまでネガティヴの塊で居続ける事にはならなかっただろう。

 

そんなネガティヴの塊は、ポジティヴの塊の人が苦手だ。

「苦しくて辛いと感じる時もあるでしょう?」

という問いに対し

「苦しみなんて無いです♪生きていて楽しい事ばかりです♪」

と、どこまでも自己肯定オンリーな答えを返してくるような。

こんな人に遭遇するとついイライラして

「嘘つけ!」

と内心突っ込みを入れてしまう。

「苦しみの無い人生なんてある訳無い。苦しみの先にあるものを目指して人は歩んでいくものだと思うんだ」

どうにも理解に苦しみ、例によって周囲の人たちに相談(というかグチ)。

で、

「もしかしたら、そういう人は常に愛され肯定されながら生きてきたんじゃないか」

と(つまり私と真逆の人生)。

これは分かり合いようが無いんだよなあ、と。

 

あと、音楽の聴き方も。

私にとってネガティヴな時に背中を押してくれ、そうでない時は力を足してくれる存在。

曲の世界にどっぷり浸ってトリップして・・・なんぞという経験が無く、それが出来る人たちをかねがね不思議に思っていたのだけれど。

「帰れる場所・安らげる空間という基盤があるからこそトリップ出来るのかな?」

ふと思った。

先日まさしく【trip】し、帰宅してホッとした自分。

長らくニートで引きこもりで病気を患い、挙句に自死を図った頃を思えば、今の状況はとても恵まれていると思う。

とはいえ居場所も受け止めてくれる人も無く、生きる事そのものに必死な時期が長いと『何度でも』のような曲の方が心により沁み込んでくる。

そうすると、普段ライヴで曲を聴いても涙を見せないヤツが全力で唄いきる美和さんを見て思わず・・・なんて現象が生じてしまうのだった。

 

私は、基盤が作られないまま肉体だけが成長していった人間だと思っている。

TVのリフォーム番組の流れでありがちな、【不十分だった基礎部分を補強する】という段階を生きているのが今なのかな、と。

ただ決定的に違うのは、日々右往左往というか、行きつ戻りつ感が凄く。

これまで人と関わる事を避けてきたのは、特性上の理由以上に、人としてのややこしさ故もあった。

早い話、トリセツが分厚過ぎる。

どう受け取られてもこの脳味噌・この身体で生きて行く事に変わりは無い。

愛し愛され、障がい者とも無縁の家庭で育ってきた人に、果たして私は理解してもらえるのだろうか。

これ以上身体と人格を否定されてしまうのが怖かった。

 

今回思い出した事がもうひとつ。

当時自分を着飾る事と、鏡すら見ようともしなかった私を見かねて(というか半ば呆れられながら)元カレに、鏡をプレゼントされた事がある。

「誰かと向き合う前にまず、自分の姿を見つめて向き合っていかなきゃ」

と、鏡に映る自分を落ち着いて見られるようになった今、初めて考えるようになった。

そして改めて、こうして書きながら自分自身のややこしさに頭を抱えている・・・。

 

「こんな私なんですけど、かなりややこしい人なんですけど、大丈夫ですか?」

と、聞いてみたい。

でも怖い、といったところか。

 

ズササササーッ

と引き下がって、カウンターの端っこで静かに飲んでいたい。

ような。

それと同時に

「私に関わったり、今後関わるであろう人たちの事も、ちゃんと考えてるつもりです・・・(小声←何故か敬語)」

とも呟きたいような。

何だかウジウジしたシメになってしまった。

 

 

今週のお題とリンクして書く事も考えたけど、何しろ個人的過ぎる内容。

そしてえらい長文になってしまったので、止めておいた(当ブログ史上最大文字数!)。

生き方や考え方に、誰もが当てはまる答えは無い。

問いも答えも、各々の中にある。

【人それぞれ】が当たり前になっていったらな、と思う。

 

あと最近思うのは

「好きだ」

「興味がある」

といった前向きな理由だけじゃなく

「苦手」

「理解出来ない」

も、人と繋がっていくきっかけになるのかも知れない。

物事は、受け取り方次第で変えていける気もしてきている。

今日も変わらず小さな学びをひっそりこつこつ続ける、不惑歴2年+αの春真っ盛り。

 

 

 

 

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