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Love Letter ver.2

アラフィフ間近の発達障害者が綴る、見たまま・感じたままの記録

いろづき

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ブレブレになってしまった一枚。

でもこの後、桜の花びらを両の手で受け取れたので良しとしたい(良い事が起こる、と耳にしたので。真偽は不明)。

 

こうして写真を撮るのは大好きだけれど、撮られるのは昔から苦手。

記録された自分の姿を見るのがどうにも苦痛だった。

同じように、鏡で自分の顔を見るのも大嫌い。

例え仕上がり具合がちぐはぐになっても、メイクをする時はファンデーションの小さな鏡しか使わなかった。

自分の容貌を忌み嫌っていた、とずっと思い込んでいた。

 

それに気付いたのが、先々週の事。

熊本から博多に移動し、宿でチェックインを済ませて早速お風呂に入った(旅先での夜の外出の前、湯船に浸かるのが習慣となっている)。

その後身支度を済ませメイクをしようと椅子に座り、何気なく目の前のスタンドミラーを見た。

自分の顔をまじまじと見つめたのは、母親の口紅をこっそり塗ってみた幼少期以来だったと思う。

「あれ?私の顔、ちゃんと目鼻あってハッキリしてる・・・?」

愕然とした。

ずーっと自分はのっぺらぼうな容貌だと信じて疑わなかったのだ。

そのためベースメイクこそきちんとするものの、アイシャドウなどはごくごく薄く伸ばす程度。

「もっと濃くつけていいんだよ」

と言われても聴く耳持たずで、たまに美容部員さんにタッチアップされようものなら、映し出された自分の顔を見るのがおぞましくて早々に購入を決めていたものだった。

おそらく、ナチュラルメイクというよりはほぼすっぴんでいた20数年間。

「これ・・・もうちょっと濃いめに塗っても、だ、大丈夫だよな・・・」

と、恐る恐る塗り重ねていった。

いつの間にか、鏡の中の自分を見る事が平気になっていたのだった。

 

私の場合、身体醜形障害(醜形恐怖症)というよりうつ病も含めた内面のコンプレックスから自分は醜い、目も当てられない顔だと思い込むようになったのだと思う。

相変わらず他人と比較してしまう癖は抜けておらず、その度に

「私は人間的に濁ってる。歪んでる。ドロドロしてる・・・」

と心揺さぶられ落ち込んでしまう。

元々感受性が強過ぎるし、それ故にダメージも受けやすい。

ならば。

まずはその痛みを感じながら、心の揺れが静まるのを待つ。

今回も揺れと沈静を経て、この記事を書き始めた。

 

長らく縛り付けていた自己否定の鎖を解き始めると、次々と露になる自分の至らなさ。

日々思い知らされていて、もう本当に泣きたくなる(今も若干涙ぐみながら書いているけど)。

この痛みを、糧に変える。

 

少なくとも、そんなに残念な容貌ではない(平凡なレベル)と気付けただけでも心底ホッとした。

メイク「アップ」だもんな。

綺麗になろう。

成長しなきゃ。

伸び代は、まだまだたくさんある気がする。

 

 

 

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