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Love Letter ver.2

アラフィフ間近の発達障害者が綴る、見たまま・感じたままの記録

心の休息と整理整頓

このブログを書く時、いつも鬼のように推敲を重ねてのちに公開している。

なのだけど。

前回のズタボロ感ときたら・・・orz

心身共々、限界を超えた状態だった事に気づかぬまま無理していたと思う。

そんなこんなで最近は身内の付き添いやそれに伴う買い出しもお休みさせてもらい、仕事以外はあまり出歩かずのんびりと過ごすようにしている。

胃の痛みがやっと治まってきた。

今月末までに意地でも体を立て直さねば。ねばねば。

 

前回書いた、診断名を公表するか・特性や症状の理解と支援をどこまで告知するかで散々悩んだ件について。

今でこそかなり認知されて子ども向けの支援も始まっているけれど、当時は犯罪者のイメージや各々の二次症状が取り上げられる状況だった。

就活でも発達障害で精神手帳持ちと告げると

うつ病でしょ?精神の人は続かないからダメ」

と面と向かってバッサリ切られ続けた(これ、差別だと思うのだがどうなんだろう?)。

いざ決まったら決まったで、それなりの配慮がなされた他の障害の人と違っていきなり

「(特性に対する)配慮はしません。ウチのやり方に合わせてもらいます」

の一言。

ということで、基本的にスルーされながら今に至っている。

私は元々同じ立場・同じ待遇で働くのが最大の目標だったし、体調管理も自分で出来るから構わないけど、本来はあってはならない事なのだ。

配慮無し・仕事内容は健常者・待遇だけが障害者(=短時間労働で時給は最低賃金)なのは、たまったものじゃない。

 

「障害をオープンにするか、クローズにするか」

こちらも悩み、試行錯誤を重ねて今に至っている。

伏せたところで長らくうつ病に悩まされた過去は消せないし、ならばとオープンにしてもまともな配慮は望めない。

人手不足やコスト削減が言われるようになった、労働環境。

さらに言えば、(障害者の事に限らず)物事に無関心で不寛容な世の中の空気もひしひしと感じる。

「もっと私のような者に関心を持ってもらえたら。そのためにも一方的に配慮を求めるだけじゃなく、『出来る事』を見つけて伸ばしていかなきゃ」

そして、公表すれども一切の配慮は求めないと決めたのだった。

 

こうして書いていて、自分にとって改めて、公表する事の意味の大きさを実感する。

他人から肯定されようが否定されようが、これは持って生まれたもので、一生抱えていくものだから。

これまで人付き合いは極力避けていたから、初めて深く関わり合った彼との付き合いはいとおしさと苦しさが常に綯い交ぜになっていた記憶がある。

こんな私を懸命に理解しようとしてくれただけでも嬉しくて、つい自分の身体に無理を重ねてしまった。

あまり配慮を求め過ぎると嫌われてしまうのでは、という恐れもあった。

この恐れは今でも、人間関係全般において持ち続けている。

 

どこまで委ねたらいいのか。

そもそも委ねて良かったのか否か。

その都度公表の是非から悩み続ける事に嫌気が差す。

いつまでこんな思いをしなきゃいけないんだ。

受け容れてもらえない、否定される事への恐怖と苦しさがある。

でも、特性ごと自分を押し殺して振る舞い続けるのはもっともっと辛い。

いずれにせよ悩み苦しむのは、本当に嫌だ。

 

再び健常者に囲まれて生きるようになって数年。

極力人付き合いを避けてきた上にうつ病+引きこもり時代を過ごしたツケが今になって廻ってきているな、とひしひしと感じる今日この頃。

この1年、殊に今年に入ってからの身辺の騒がしさとその密度が凄まじい。

慌しい日々に追われながら、自分を取り巻く状況や気持ちの整理も同時進行。

どうもその無理が祟ったらしい(←今ここ)という現況。

とりあえず、身体を治さない事には始まらない。

明日へ立ち向かっていく。

めっちゃ丸腰で。

 

そして今回もほぼ完徹で朝を迎え、身支度を始める事が確定したのだった。まる。