Love Letter ver.2

神経発達症とHSPを併せ持ちながら今を生きる。その日常と思うこと。

冷や汗

改めて一般社会・定型発達の人たちと関わりながら生きていく決意をした数年前。

しかし当時から現在に至るまで、思い悩んでいる事がある(これも初めて書く話)。

「関わっていくであろう人たちに、どこまで特性を話して理解を求めたらいいのか」

「そしてどうしても、肉体的・心理的な負担をかけてしまう。お世話になりっ放しだけでいいのだろうか」

 

昨日の内容と重複するかもだけど、どこまで自分の障害の事を説明したらいいか、今も悩み続けている。

障害者に関わる機会の多かった人じゃなければ、特に私のように見た目で分からない障害の人間を目の当たりにすると、戸惑うのは当然だと思う。

実際色んな場面で理解と配慮をお願いしてきたけれど、大体

「どういう風に扱って(接して)いいか分からない」

と返され、スルーされてきた。

私の場合普段は全くと言っていいほど特別な配慮は必要ないけれど、今現在のように時々ドーンと体調が悪くなる。

この症状さえなければ、診断名を隠し通して生きていく事も出来る。

でもこの脳みそを持ち続ける限り、二次症状もついてくる。

そもそも【脳の異常発達】と言われてもピンと来ないと思うし・・・。

 

あとはやはり

「余計な負担をかけてしまうのでは?」

と考えると心苦しい。

私も子どもの頃から障害のある子たちと接する機会がとても多く、サポートを任される事も何度かあった。

相手からはもちろん周囲の人たちからも感謝されたけど、自由な行動が出来ないのが辛かった記憶がある(←ちなみに当時から意思表示が上手く出来ず、「やりたくない」の言葉すら言い出せなかった)。

今後自分も、関わる人たちに当時の私が味わった思いをさせてしまうかも知れない。

ならば、何かのカタチでそのお返しが出来ないだろうか・・・。

 

で。

障害者という存在に関してスピリチュアル系の本や記事を読んでみると

「ただ、いてくれるだけでいい」

とか

「関わる人たちが彼らの存在を通して、学んでいるのです」

などと書かれていた。

んが。

「ちがーーーーーーう!!!」(←マモー。って分かるかな)

私は脳みそ以外だったら定型の人とほぼ同じ働きが出来る。

迷惑をかけっ放しで生かされていくのは、やっぱり心苦しい。

申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。

 

このふたつの悩みを今、関係者に相談しているところなのだ。

何かいい方法ないかな。

 

 

そして、今日現在の私について。

公の場であんまり病状アピールするのもどうかと思うけど

「昨日のブログ、読み方によっては発作的に何かしてしまう風にも取れるよな・・・」

とふと思った。

のと。

どうしても気がかりな事があって、というか

「大丈夫かな・・・」

と心配になり、ズルズルとベッドから這い出してこれを書いている。

本当はブログを書いている場合じゃないし、人の心配をしている場合でもない。

うつ症状は少し治まってきたものの、胃の激痛なう。

なんである。

普通に仕事はしていて、帰宅してバタン→あだだだだ!な感じ。

元カレにも

「無理しないで休みなさい!」

って散々説教されてたなあ・・・懐かしい。

 

じゃなくて。

横になるべく、ベッドに戻ります。

冷や汗すごい。

 

 

 

 

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