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Love Letter ver.2

アラフィフ間近の発達障害者が綴る、見たまま・感じたままの記録

宗教と信仰とお金

(昨日からの続き)

 

大叔母の葬儀は、ごく簡素なかたちで執り行われたという。

私が子どもの頃は、親戚一同・近所の人も総出で大掛かりな葬儀が行われるのが普通だったけれど、最近は家族葬や葬儀はしないケースも多々聞く。

そして葬儀や法事で集まる度、必ず話に上るのが「お寺さんへのお布施」。

法事を行なう毎に、また寺に関する費用が発生する(した)際に「とんでもない額」を檀家に要求してくるという。

先祖が寄付した建造物の維持費、なども。

そこで出たのが

「止む無く先祖代々のお墓を引き払う」

「永代供養を考えている」

というような話。

宗教とは距離を置きたい、という人も。

 

かく言う私の家はある宗派の檀家で、神社に初詣に行くし、宗教宗派問わず敬愛する宗教家も何人かいる。

とどめに20代の頃、あるカルト教団(オウムや某団体ほどじゃないけど、金銭トラブルが多かった。後で知った)にはまっていた。

その教団施設内の本棚に置かれた雑誌を読んで、とあるスピリチュアリスト(江原さんではない。無名の人)の本を読むようになって教団との縁を断ったという経緯がある。

そしてスピリチュアルとも距離を置くようになった今。

「この人たちは宗教者やスピリチュアリストである前にひとりの人間なんだよな」

と、すごーく思う。

生きるのに必要な欲求を満たすのにモノやお金がいるのは、私たちと同じ。

当たり前なんだけど。

 

教団もこのスピリチュアリストさんも講演やセミナーを開いている。

そうすると多額のお金を払った人だけが、直接会ってお話を聞いてもらえるしくみ。

一般会員とゴールド(プレミアム)会員、みたいな。

「あれ?これ企業とおんなじじゃん」

信仰のあり方にむくむくと疑問を覚え始めた頃、「お寺さんへのお布施」の話も見聞きするようになった。

そもそも信仰って、もっとシンプルであっていいんじゃないか。

 

亡くなった人を偲ぶ。

いのちに思いを馳せる。

目の前の人を、大切にする。

 

わざわざ多額の費用を投じて有り難いお話を聞きに行かなくても、学びや気付き・感謝を教えてくれる人や物事はちゃんと用意されている。

あとは、自分次第なのだ。

 

ちと話が逸れてしまったが。

 

今は年金生活をおくる人やいわゆる貧困層が増え続けている。

お布施は勿論葬儀費用も払えない人々に心を寄せ、対応なさっているお寺さんも出てきたという話も聞いている。

ぼったくりとも取られかねない費用を要求するお寺さんはごく僅か。

と思いたい。

ですのでお寺さん、もうちょっと何とかなりませんか(ペコリ)。

 

ちなみに私は火葬後、散骨を希望している。

海か山かは分からないけど、次のいのちを育む源のひとかけであれたらと思う。

そして誰かにほんの少しでも偲ばれれば、それでいい。

 

でもまずは、目の前に居てくれる人たちを大切にしたい。

ということで昨夜、別件で口喧嘩となった母親に「ごめんなさい」メールを送ったのだった。

忙しいとは言え文字通り、心を亡くしちゃいかん。

よな、やっぱり。猛反省。

 

 

 

 

 

 

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