Love Letter ver.2

アラフィフ間近の発達障害者が綴る、見たまま・感じたままの記録

自分の中のバリア

このブログで度々触れているけれど、永い間うつ病を患っていた影響で、特に20~30代前半はまともな就労経験がない。

これを前置きとして、今日感じた事を少々。

「上からの指示ですから」

「決まりですから」

は、つくづく上手い言い方だよなと。

その他にもムカつく事や理不尽な事をやり過ごす方法を学んでいる(学ばされている)ところだが、皆よく堪えてるな~と感心したり。

お金を稼ぐためとは言え、言いたい事を堪えるのってしんどくないんだろうか。

守るべきもの(家族)があると、乗り越えていける強さが出てくるんだろうか。

そもそも仕事って、「辛くて苦しくて当たり前」が当たり前なんだろうか。

楽しさを求めるのは不謹慎なんだろうか。

と、ぐるぐる考える独身の俺様さ(槇原さん風。まだ生きてるよ)。

 

希死念慮の渦から逃れた後も、「世界を放浪して、どっかの河か砂漠で野垂れ死ねたらいい」と周囲に話していたほど、生きていこうとする気力が湧かなかった。

障がいへの無理解を承知で働き続けている今も、その根っこには「今の発達障がいの子どもたちが自立する歳を迎えた時、私のような思いをしないように。もっと理解と支援の輪が拡がっていくように」という思いがある。

それが今のところの唯一の心の支えであり、「叶えられたらもう、思い残すことはない」とさえ思っている。

あとは旨い酒と本と音楽、ついでに楽しく取り組める仕事があればいい(これは高望みか)。

でも。

万が一家族が出来ようものなら、私も変わっていくんだろうか。

独身を通している最大の理由も障がいだけれど(アスペのご家族への対応に苦労なさっている方々の話を耳にして、「やはり迷惑はかけられない」と)、まんっっっがいち!こんな私を受け容れてくれる人が現れようものなら。

変わっていく・・・の・・・かな???

 

などと考えていた矢先の、「もしかしてこれは・・・こ、恋とか?」だったのだ。

「でも私は障がい者だし・・・」と毎度毎度のいくじなしモードに入ろうとしたその時、ふと気付いた。

バリアフリーと言うけどこの場合、私の方がバリア張ってるよな。と。

まずはこれを何とかしなきゃ・・・!

などなどぐるぐる思い巡らせていた一昨日の宍道湖、なのだった(多分、続く)。

 

まとまりのない文になってしまった。

この考え過ぎる癖も何とかしたい・・・。

 

 

 

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