君が笑えば

いのちに【その他大勢】なんて、無い。

この一言に尽きる

今週のお題「ブログ初心者に贈る言葉

めげずに、気長に、ぼちぼちと書きましょう。

アクセス伸び悩んでも。
はてなスターが付いていなくても。
大体ウケを狙った内容ほどスベるし、何も考えずに書いたものほど案外⭐を頂けたりする(ありがたや)。

とにかく、書きたい事を書くのがいちばん。
誰かに面と向かって話しかけるように。

ひとりの人間として

ロマンスエンジェルオラクルカード(日本語版説明書付)新装版

昨年末、たまたま立ち寄った梅田の蔦屋書店で見かけて
「(当時抱えていた悩みの)この引っ掛かっているものは何だろう」
と、お試しで引いてみたのが【Codependency】というカード。

共依存

元々自覚があり、一時期これについて書かれた本を読み漁っていたものだけれど。
精神の症状も落ち着き、人間関係の在り方を見直す時期だったのかな?と今振り返って。
人との関わり方。
意思表示、特に『NO』と伝える事。
本当に苦手で、基本言葉足らずな割に変なところで減らず口を叩いてしまう傾向も相変わらず(涙)

今年はこれに心を砕いた一年になった。
そして言葉足らず、もしくは阻まれる状況の時に
「ここは黙って行動に移した方がいいんじゃないか」
と考えるようになり、実行し出したのが下半期だったかなと。
何かよく喋ったり書いたり、とにかく動いた記憶しかない。

転職の件でも周囲から口々に
「無理せずに(行政から)支援受ければいいのに」
と言われた。
発達障害を抱える以上、二次症状であるうつ病が100%治る訳ではない。
「なんだけど、何でこんなに働こうとするんだ私」
つらつら考えて
「あ、『存在する』ためだった」。

おそらく多くの当事者と同じく
発達障害について、もっと多くの人に理解してもらいたい】
という思いから前身のはてなダイアリーを始め、その告知も兼ねてTwitterも始めて現在に至っている。
でも今はマイノリティとされた人たちへの理解も進んできた。
ならば殊更にアピールせず、それ以前にひとりの人間として
「笑うし悩むし働くし、恋だってするよ」
と、ありのままの姿をごく当たり前の事として書き綴っていこう。
これがだんだん日常生活全般に波及していったような気がする。
【働く障害者】扱い、本当にされなくなった。
特性ゆえの苦労もあるけど、ただの働き手の1人として見てもらえるのはありがたい。
これが支援や介助を必要とする、それでも働きたい人たちにも及んでいくといいなと願っている。
職場以外でも、支援がごく自然に行なわれ受け止められる世の中になるように。
そのためにも私は、ただただ存在していようと。

とはいえ。
うつ病も加えるとこれまで20年以上、障害や症状をオープンにして人や世間と向き合い続けてきた。
当事者として常に肩肘張った状態だったから、最近、ここいらで肩の荷を降ろしたいという気持ちが出てきた。
人生後半に差し掛かったし、丁度元号も変わるし(?)。
ひとりの人間としての自分を、もっともっと大切にしたい。

そこで、SNSとの付き合いも見直そうと。
実はこの秋から少しずつ始めているのだが、張り付く時間を減らし、日常生活とリアルな人間関係を最優先に。
張り付きながら携帯でメールやLINEは、目にも良くないしな(老眼が気になる年頃・まだだけど)。

だから万が一、まんっっっがいち!(←強調)
彼氏ができた暁には完全にこっち優先、SNSからはもれなくログアウトしようかなという。
今年は就活に追われ、充分な恋活・婚活が出来なかったから来年こそは・・・。

人との距離の取り方や詰め方は相変わらず不得手で、共依存体質から脱却出来ているか分からない。
これも来る年の課題だなあ。
年々体は衰えていっているけれど、こっちはまだまだ発展途上。



このブログも次回(年明け)からはタブレットで短めに。
写真だけの投稿も増えるかも。
その前にweb環境の諸々を整えなくてはなー、と思いつつ。


今年一年、読んでくださったみなさま、ありがとうございました!
来る年もゆるゆるとお付き合いくださいますよう・・・。
よいお年を!

よくがんばりました

日本人は何かと謙遜したり自分を卑下しがちで
私は特にその傾向が強い人間なのだけれど
今年に関しては
「よくがんばりました!」と
素直に自分を褒めてやっても良いんじゃないだろうか。
そんな師走である。

またひと月ぶりの更新になってしまった。
タブレットに変えてもこのブログを続ける気は満々なので
指orタッチペンで入力するか
音声を使うか
キーボードを接続するか
で、目下思案中。
その前に固定回線からWi-Fi(だっけか)に変える予定なのだけど
ルーターをホームとモバイルのどちらにするかでこれまた思案中。
この辺に関しては本当に疎い。
「機械とネット周りに強い彼氏が欲しい」
と、身もフタも無い事をTwitterに投稿するのだった。

異業種・未経験で転職した事も含め、頭を使う事がとても多い下半期。
いわゆる過集中の状態になる時間も増えてしまい
仕事に慣れてきた最近になって、気分的に参ってしまった。
それでも今のところ通院する程度ではないから、何とかコントロール出来るようになっていたのだろう。
今まで同様、支援も理解も無しの孤軍奮闘。
「だからこそ、自分を褒めてもいいよな」と。

とはいえ、今の状況に満足している訳でもなく。

44歳を迎え【人生の後半】を否応無く意識し始めた今日この頃。
「もっと自分の身体(特性)を大事に扱っても良いのではないか」
「身体に負担をかける事は極力避けて、楽しいと感じられる人や物事と関わっていきたい」
こんな思いが、そろりそろりと現れ始めた。

公私ともクリアしたい問題は山積みだけれど、とりあえずは。
好きなもの・心魅かれる人や物事に、もっと素直に手を伸ばしてみようと思う。

2019年とそれ以降の目標が、何となく見えてきた。

師走前に

気が付けば前回の更新からひと月。
もはやこの間、何をやっていたのか訳分からん状態である。
フルタイムでしかもガチのシフト勤務になった事により、生活リズムが大きく変わった。
仕事を覚えながら(ちなみに前職とは全くの畑違い)その変化に体を慣らしていくのに四苦八苦。
うつの症状が現れたりしつつもやっと落ち着き、舌炎なうな今現在。
落ち着くとガクッと体調崩す習慣(?)は変わっていなかった。

そして。
今こうして綴るのにも使っているPCを止め、タブレットに変える事にした。
それに伴う手続きの段取りやら費用やらを調べていたのだった。
なんか大変そう。
あと、リサイクルまでにつつがなく漕ぎ着けるだろうか。
機械も取説も苦手とする筆者。
イマイチ覚え切れぬまま、意を決してクリックするのだった。

ああ、機械に強い彼氏が欲しい(定期呟き)。

ともあれ、タブレットでもブログを続ける気満々。
レヴュー記事等読むと
「長い文章を書くには不向き」
と書かれているけれど、長ったらしい文章から卒業したい私にはぴったりかも?と。
更に何と言っても
ゴロゴロしながら書いたり読んだり出来る
ところが、最大の魅力。
パッとネタが浮かんだらパッと書いちゃうに限る。
ネタは新鮮なうちに。

そんなこんなで、(なるべく)短めにまとめてみた。
猛烈に、眠い。

誕生日前夜に

身内の殆どが県外在住のため、普段は母親を通じて彼らの近況を知る。
そして今日、初めて知らされた現況に衝撃を受けた。
私は明日で44歳を迎える。
たまに読む新聞のお悔やみ欄に同年代の方の名前を見かける度
「最早いつ何時何があってもおかしくない年齢に差し掛かったんだな」
と痛感していたのだけれど、身内のそういった話を聞いて、心に重石を乗せられた気分になった。
それまで順風満帆だった家庭でも、誰かが例えば大病を患ったり、不慮の事故に遭ったりした事がきっかけで状況が一変してしまう。
【人間はいずれひとりになり、ひとりで天に還ってゆく】
と頭では分かっていても、これまで当たり前のように傍に居てくれた人を突然喪う・喪う恐れがある事実を前に立ち竦み落胆する。
元々繋がりが希薄だった家庭に育った私でも、ほんの少し、理解できるようになった。

喪う痛み。
喪った事に気付いた瞬間に襲われる孤独感。

ひとりで生きていくのは自由度が高いしラクではあるけれど、この孤独感とも向き合う事になる。
誰かと連れ添って生きていくのは不自由な面も出てくるけれど、【分かち合い】が出来るし、互いの心のよりどころになれる。

母親の話を聞いて
「人生って、選択の連続だよね。しかもどの選択肢も、正解にも不正解にもなり得る」
などと話しながら、大リスペクトする美輪明宏さんが仰る【正負の法則】を思い出した。
しかし、死は平等に訪れる。

死と向き合う。
いのちと向き合う。
どんな気構えでいたらいいんだろうか。

こんな時は読書に限る。
いつものようにぴん!と閃いて、日野原重明さんの本を求めたのだった。
感想は、また追々。



そして。
母と散々話し合った結果
「人生のパートナーはいる方が良い!」
という結論に達した。
お金よりは、心のよりどころ。
特に働く障害者のひとりとしては、特性自体は理解されなくても
「しんどかった~!」
とか
「きちんと評価してもらえた!」
といった事を打ち明けられる人が身近に居るに越した事は無い。
と、転職したばかりゆえにひしひしと実感している(環境の変化に対応するのが大変な発達障害者です)。

あとは前回記したとおり、実はかなりの寂しがりやでもあり。
無償の愛に憧れるし、それがすんなり出来る人になりたい思いはありつつも
「やっぱり煩悩は捨て切れないな」
という事で、一応の決着をみた(んだろうか)。

あ、日付変わった。
アラフォーのラストイヤーのはじまり。
ひとつ歳を取る毎に
「よもやこの年齢まで生きているとは」
という戸惑いと
「って事は、私が出会うべき人・学ぶべきものがまだまだあるんだな」
という妙な確信を覚える(しかもこの確信は年々強まっている。何故だ)。

まあまずは、健康第一。
健康な体であれば、恋も仕事も出来る。
ある日、プロテインのドリンクを頂いたけれど
「・・・いやうちら、プロテインよりはグルコサミン・コンドロイチンがしっくりくるがんな?」
とそちら方面のトークに花を咲かせたのだった。
サプリ苦手だから摂る気は全く無いが。
リアルに沁みる歳になったんだな、としみじみしている。

無性に愛

時々、理由も無く気分がガクッと落ちる事がある。
病を患っていた頃より、頻度もその時間も大幅に減ってはいるものの。
昨年行ったライヴの時以来、久々にそいつが訪れた(ちなみに今回もライヴ前だった)。
就活や家庭環境・人間関係の変化で気を張った日々が終わったのもあるのだろう。
油断していた。

突如落ちていくあれは何なんだろう。
自分でもよく分からないままだったけれど、今こうして書いていてふと【寂しい】【孤独感】のふたつの言葉が浮かんできた。
普段はひとりで過ごす事に特に寂しさや苦痛は感じない(だからおひとりさまなんだろうな・・・)。
けれど、日常の隙間に孤独感が佇む事に気付いてもいる。
落ちそうになるところにスケジュールを埋め込んでやり過ごし、無かった事にしてきたような気がする。

ひとりで居るのが好きな、でもかなりの寂しがりや。
つくづく面倒臭い人だなあと思う。
我ながら。

【寂しいから恋をする】という感覚も、何となく解るようになってきた。
それまで
「身勝手な理由だな」
「相手の事より自分の欲求満たす方が大事なの?」
と否定的だったし、今でもその理由だけで恋に踏み込んでいこうとは全く思わない。
とは言え、時折
「誰かに傍に居て欲しいな」
という思いがふわりと生まれてくる事がある。
しかもその度合いが年々増えてきている。
年齢的なものもあるんだろうか。
自分ではよく分からない。

これで恋愛経験値が高くて、割り切った付き合い方が出来れば良いのだろうけど。
私はとてもそんな芸当は出来ない。
寂しさを埋めてくれる人なら誰でも良い、とはいかないのは確信レベルで解っている。
「この人だ!」とピンとくる感覚と、自分の気持ち=恋心を最優先にしたい。
そうすると今度は、べらぼうな低さを誇る恋愛経験値の問題が浮上してくるのだが(涙)。


そこで昔のようにアイドルやフィクションの世界の男の子に走る手もあるんだろうけど。
「○○くんに抱かれてみた~い」
とか
「(ライヴで)○○くんと目が合っちゃったあああ」
的なコメントを見かける度
「・・・妄想で抱かれるより実際の方が良くない?」
と、実に生々しく、身も蓋も無い感想を持ってしまうのだった(ドン引きされそうなので絶対口外しないけど)。

ひとりで居るのが好きな、でもかなりの寂しがりや。
だからと言って、傍に居てくれるなら誰でも良い訳じゃない。

つくづく面倒臭い人だなあ、と。
重ね重ね。

無償の愛が出来る人になりたい。
天使のような心持ちでありたいな、と傍らの天使を見詰めながら考えている。