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Love Letter ver.2

アラフィフ間近の発達障害者が綴る、見たまま・感じたままの記録

へっぴり腰の恋

前々回からの続き、のつもりで(←タイトル)。

学校でも職場でも飲み屋さんでも、私は端っこに居座る事が多い。

センターのポジションがどうにも落ち着かない。

昔から「変わった人」と称される一方で、人の相談に乗ったり、果てはまとめ役を仰せつかる羽目になる時もあった。

だけど自分の考えや思いを口にして、行動に移すのは今でも大の苦手。

昔も今も、言葉にする時は常に胃がキリキリ痛む。

逃げ出したくて仕方なくなる。

今の診断を受けてからというもの

「人と関わるのは必要最小限に留めて、なるべく迷惑をかけないようひっそりと死んでいこう」

と、固く心に誓っていた。

社会の端っこで、目立たないように。

 

そもそも人としての欲求自体もあまりなく

「そこそこ働いて、ごはん食べていければまあいっかな」

ぐらいのものだった。

貧しい家庭に育ち、安定しない体調と社会の無理解と向き合いながらの40年であったので、今がいちばん幸せだなあ・・・としみじみ感じるほど。

念願であった独り暮らしも3年を過ぎ、こちらもまた楽しい。

元カレと付き合っていた頃は、会えない時の寂しさや別れを切り出した時の辛さをそれなりに味わう事となったけれど。

寂しい、という感情はこれまであまり感じてこなかったように思う。

 

その元カレとの別れを考えるようになった昨秋から約1年。

公私共々、気が付けば端っこの住人ではいられなくなっている事に呆然とする今日この頃。

何かどんどんセンターにズルズルと引っ張り出されている感じがある。

これまでやり付けなかった事をものすごーくやっている。

というか、やらされている。

やらざるを得なくなった。

大の苦手である、思う事を自分の言葉で話す機会も増えてきた。

これをいっぱいいっぱいと言わずして、何と呼ぶ。

 

が、前々回までの話(ちと長くなったが)。

今の時点で思うのは。

 

「私、がっつかなさ過ぎなんだろうか」

 

先日Twitterで検索をかけたツイートの中に、自己アピール満々なアカウントを見かけた。

「私ってこんなにいいオンナなの。○○くん!もっと私を見てぇ~」

というドン引きレベルの内容であったものの、正直、その姿勢をちょっとは見習ってもいいのかなと思った。

私なら「いいな。好きだな」と思える相手であってもその途端

ズササササーッ(←後ずさり)

だもんなあ・・・。

考えてみると、元カレの時もうっすらと好意は抱いていたものの

「まさか私は恋愛対象じゃないだろうし(相手がかなり年下だった)。ははは」

と、付き合う事は全く想定していなかった。

だからいざ付き合う段階となっても、私の方が最後までジタバタというかあわあわとなってしまったのだった。

 

書きながら今ふと気付いたのだが

「この人、好きだな」

から

「この人と一緒にいたい」

に変わってゆくスピードが私の場合、おっそろしく遅いのかも知れない。

やっぱりちょっとはがっついた方がいいんだろうか。

うーむ。

 

 

おまけに私の場合、特性由来の言葉の問題もある。

再び健常者の社会で生きるようになって、コミュニケーションもある程度こなせるようになったけど、それでも時折、言葉の使い方を誤る事もある。

いっぱいいっぱいの状態や疲れている時は、尚更。

第六感のお陰で何とかなっているとは思うけど、言葉の使い方、もっと上手くならなければと心底(もちろんこのブログも!)。

 

そんな訳で最近も

「これ、ちゃんと伝わったかなあ・・・」

な事が起きてしまった(起こしてしまった、と言うべきか。とほほ)。

届くといいな。

伝わっていればいいな。

切に願う、「あわあわ」再来の秋。

 

 

 

 

 

 

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これをあれして

岩崎宏美さんの『Piano Songs』というアルバムを聴きながら、この文を書いている。

繊細な唄と、アイドルたちの傍らで姐さん風をぶいぶい吹かせるトークでお馴染みの方。

子どもの頃から好きな唄うたいさんでもあるのだが、先日たまたまラジオでこのアルバムの曲を耳にした事で、手にするに至った。

国府弘子さんの演奏もたおやかで素敵。

秋の夜長にぴったり。

あったかい飲み物片手に、小説読みながら聴いてもよさそう。

 

実際はちょろっとTwitter見ながら、元カレとメールしながら、わたわたと聴いているのだけど。

お互い気持ちも体調も落ち着いたということで、友達としてメールのやり取りを再開している。

地味に忙しい(主に手元が)。

別れを告げてからもずーっと残っていたしこりのようなものが、完全に取れた。

これで良かったんだなあ、と心底思えるようになった。

 

今回は別の内容も考えてたんだけど、このアルバムをちゃんと聴こうと思ったので手短に。

ちなみにタイトルの『これをあれして』とは

「(買った服を私に差し出しながら)値札取って」と頼もうとした母親が放った台詞。

歳を取るにつれて、段々と会話から固有名詞が消えてゆくのだな。

【あれあれ病】とか言うけれど、両親の会話がまさにこんな感じ。

 

「そこのあれ取って」

「あの~・・・あれだがん!あ~思い出せんがな(怒)」

 

「こんなんでも通じちょーだで」

と、ドヤ顔で自慢する母親。

なるほどなあ。

苦笑いの私、なのだった。

 

 

 

 

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『袋小路の恋』、からの。

またまたまた、1か月ぶりの投稿である。

ダイアリーも含めて結構な年数書き散らし続けているけれど、未だに本文始めの数行に悩む。

今はTwitterにリンクを貼ると、この数行も出てくるため余計に悩む。

さらにこの1か月間の出来事を書こうとすると恐ろしく濃密過ぎて、どこから書くかでも悩む。

悩むうちに時間は経つ。

移ろう季節。

そして気付けば1か月。

 

胃が痛い。

でも書くけど。

 

今月初め、浜田真理子さんと畠山美由紀さんのうたを聴いてきた。

秋らしく&ツボにはまる選曲と井戸端トーク、良かった。

私は終演後に掲示されるその日の演奏曲をメモしないため(後でCD聴いて「あ!この曲やってた!」と余韻に浸りたいので)、印象に残った曲って確かこんなタイトルだったよな・・・と挙げてみた。

袋小路の恋、か。

ちょっぴり苦笑いしつつもその一方で、この日は体調不良でボロボロ。

万全の体調であればもっと楽しめたかも・・・と悔やむ。

この1か月間、極端な寒暖差・空模様の変化にも悩まされた。

幸い精神症状は大きく出なかったものの、年齢的なものを自覚する事に。

ヘッダの見出し(というのか?)に【アラフォー】と書いているが、来月、42回目の誕生日を迎える。

【アラフィフ】がひたひたと忍び寄っている・・・。

ひー。

それはさておき、年齢的なもの。

私は敢えて【幸念期】もしくは【耕年期】と呼びたい、な。

まだ前触れっぽい症状だけなので、ひとまず、自分の証に合った漢方薬を服用中。

コスメにせよお薬にせよ、歳を取るって、お金がかかる。

 

で。

この年齢的な不調、あろう事か期間限定禁酒を始めてから出てきた。

ある願掛けのために始めた禁酒。

かれこれ1か月経過、こちらは順調に続いている。

ただ。

お酒を嗜むのはストレス緩和のみならず、うっかりと失言してしまっても、呑み過ぎを理由に誤魔化そうという目的もあった。

後々、自ら退路を経ってしまった事に気付く(遅い)。

プライベートもTwitterも勿論このブログも、みーんな素面で喋り、書き綴っている。

加えて恐ろしい事に、意思や言葉がどんどんストレートになっていっている。

自覚が、かなりある。

理由は自分でもよく分からない。

なんでだ。

ひー(本日2回目)。

相変わらず「ひきこもりたい」「ここから逃げ出したい」想念もふわっと立ち上るけれど、どうにかこうにか踏ん張っている。

「ここから逃げちゃいけないんだ」という強い予感も、しているから。

 

公私にわたって過渡期真っ只中の、41歳ラストスパート。

いつも以上にまとまりのない文章になってしまった。

この1か月間に心揺さぶられる出来事が他にも沢山あって、気持ちを整理するのに四苦八苦している。

いっぱいいっぱい、とはまさに今の自分。

胃が痛い(これも2回目)。

夏から、秋へ

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とうとう我が家にもレコードプレイヤーをお招きする事となった。

内蔵スピーカーの有無やらデザイン(これ大事)で散々悩んだ挙句、のこちら。

周辺機器は扱い慣れた頃に検討するとして、今はプレイヤーの傍に寄り、くるくる回る円盤を見ながら聴いてみているところ。

他にも回転寿司・観覧車・オルゴールなど、どうやら私は回るものを見るのが好きらしい。

お茶をすすりながら流れるお寿司をジーッと見ていて、頼むのを忘れてしまうほど・・・。

ちなみに回っているのはもちろん『醒めない』である。

淡いピンクにモニャモニャと女の子のジャケットが可愛い。

今後アナログ盤を買う際、普段はしない【ジャケ買い】もありかも。

 

 

そして一昨日。

別れてから連絡を取っていなかった元カレと、ひょんなことから久しぶりにメールのやり取りをした。

最後まで別れる・別れたくないで喧嘩になり、半ば強引に別れてしまった事への謝罪と、改めて「よりを戻す事は出来ない」と理由も含めて話した。

それぞれ自分の体調をコントロールしながら、経済面を含めて互いに支え合っていく事は困難である、という事。

私の中で「一般社会の中で生きていきたい」という気持ちが固まっていた事。

お互い健康で穏やかに生きていくためにも、別れた方が良いのではないか。

などなど(好きな人がいる、という話もついでに)。

納得してもらえて、私ももやもやが晴れたような思いだった。

 

このひと月の間、世間的にも個人的にも色々あり過ぎて思うこともいっぱい。

書きたいこともいっぱい。

なのだけど。

急に涼しくなった途端、猛烈な疲れと眠気。

睡魔と闘いながら書いた今回の記事、ちゃんと読める内容になっているんだろうか。

と思いつつ、ひとまずup。

おやすみなさい。

 

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盛り沢山です

今朝前橋での強盗殺人の、死刑判決の記事を読んだ。

仮に判決が確定して遂行されたにせよ、理不尽な理由で生命や財産を奪われた方やそのご家族を思うと胸が痛む。

あと、こういう事件が発生する度に同じ立場の者として辛い。

診断を受けた7年前はまだまだ認知すらされておらず「カッとなる・暴力を振るう」的なイメージで見られがちだったから、

「人それぞれ、特性も二次症状も違います。家庭環境に因るところもありますし」

とたどたどしく説明して回っていた。

今思うのは、障害の種別問わず、社会の環境やサポート次第で本人が生きやすくも生きづらくもなるのかな?と。

これまで、親子で発達障害精神障害(加えて何らかのパーソナリティ障害)を抱えている方々と関わる機会もあったから

「『まず家族の理解と支援を』じゃなくて、まず社会の理解でしょ!」

と自分の成育歴も振り返って思う。

親御さんがまともに働けて収入を得られる状態であればいいけど、体調が安定せず仕事が休みがちになり、経済的に非常に苦しいというケースも耳にしてきた。

社会保障費が増え、こどもや働き手が減っている今。

就労支援施設に通っていた時、利用者さん同士で

「もう(障害)年金も当てにせず、体調コントロールしながら働いて、自分の力で生計立てていかないとな」

と話し合っていたものだった。

いずれにせよ、今の年金制度は破綻している。

就労可能な状態の障害者もご年配の方も、働き手としてみなされるのは待ったなし(←でも自分に合う環境や仕事であれば生き甲斐になって体調キープに繋がるから、良い事でもある。今の自分もそうなので)。

そして、社会の理解と支援も待ったなし。

我々のみならず、ひとり親のご家庭や性的マイノリティの方、もちろん保育園を探す働くお母さんたちも、皆が働きやすい環境にするのはほんっとに待ったなし!だよ!

どうなんだい?企業さんよ?

あと、「社会保障に回すカネは無い」って嘘ついて、軍事や海外に注ぎ込んだらいけんで?政府さんよ?

 

7年前は他の当事者さんと同じく発達障害への理解を訴えてきたけど、今は色んな人にこの話をしている。

当時より明らかに、何らかの理由で困っている人・苦しんでいる人が増えていると感じるから。

困った時は、おたがいさま。

おかげさま。

ものすごーくちっちゃい事だけども、出来る事をしよう!ということで。

 

 

私の診断名にはアスペルガーうつ病・チック症とあるけれど、少なからず愛着障害も影響している。

さらに、最近引っ掛かったのが【HSP】なるもの。

このブログで度々感覚過敏と、感受性と第六感が異常に鋭い事を書いてきた。

過敏症状に悩まされる度に対処法をぐぐっていたのだけど、最近このキーワードをちらほら目にするようになった。

先日、傍から見ると本当に些細な事(それこそ受け流せレベルの)でどえらい傷付き、その些細な事でいちいち傷付く自分にもほとほと疲れ果てる時があった。

「ああ、引きこもりたい・・・」

と挫けながらも検索し、HSPについても調べてみた。

で。

「敏感すぎる自分」を好きになれる本

購入したてのこちら、この後ゆっくり読む事にする。

 

ちなみに発達障害の支援で今やすっかりお馴染み(?)のSST、私は当然の事ながら受けた事が無い。

というか、少なくとも我が鳥取県では大人向けのSSTが受けられる機関も機会も無い(はず。私が知らないだけかも知れないけど)。

何せ、こども当事者向けの支援がやっと始まったばかりの県だから(涙)

となると独学でトライするしかないのだが、大人向けのSST本は未だにあまり見かけない。

的外れな内容だというレビューも結構見かけるし、ならば自分に合った方法や言葉を掲示してくれる本を探して、この目で確かめるしかない。

その捜索も始めつつ、何だかんだと盛り沢山な2016年下半期のはじまりである。

 

HSPSST

これを打ち込みながら

「なんかDAI語みたいだな」

と、思ったりした。

『KSK』良い曲だよなー、とも。

 

久しぶりにながーい文章を書いてしまった。

クラクラしてきた(←眩暈。もう寝ます)。

 

 

 

 

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前例破りの夏

12月、地元鳥取でのスピッツのライヴに行けることとなり、早速Twitterに投稿。

その際「そういや何年ぶりだっけ」とHPのLIVE DATAにて確認した。

ワンマンだと10年ぶり、イベントだと『SETSTOCK』(←懐かしい!)以来なので、生で彼らを見るのは実に8年ぶりとなる。

良い年の締めくくりになりそうで、今から楽しみ。

もちろん『醒めない』も。

 

このイベントの翌年、今の診断を受けている。

以前は夏フェスやライヴはもちろん、あちこち一人旅もしたりしていたけれど、この年からは極力遠出を控えてきた。

アスペルガー症候群の人は一人ひとり異なった【感覚】を持ち、暑さ寒さに関しても然りだという。

私は全般的に過敏傾向が強く、特に暑さに対して極端に弱い。

強い日差しや湿気・汗の不快さと皮膚のかぶれ・より疲れやすくなる・・・などなど、夏はストレス要素だらけ。

気分的にも不安定になりがちで、イライラして周囲に当たり散らしてしまうこともしばしば。

という訳で周囲から「休みの日はなるべく静かで涼しい環境で過ごすように。無茶はしない!」と言われ、夏は大人しく過ごしてきた。

今は仕事もしていて、常に万全の体調で臨みたいのもあるし(生活もかかってるし)。

しかし稀に遠出となった場合、大袈裟じゃなく、決死の外出なんである。

熱中症も相俟って、ぐったり倒れ込んでしまうのを覚悟の外出なんである。

 

そして今年、それをやっちゃうのである。

前例破り。

というか、自殺行為(爆)

今年の夏は最強の猛暑になると聞いている。

体調やスケジュールに万全を期すのはもちろん、いつものライヴや旅に欠かせないアルコールも猛暑を考慮して一切飲まないと決めた。

これで大丈夫だろう、多分。

なにぶん久しぶりの夏の遠出であり、暑さの予想も付かないから、とにかく無理をしないようにするしかない。

散策大好きだから歩き回りたいんだけど、本当は(涙)

 

今年ほど自分の意思で体を引っ張っていってる年はないな、と思う。

その上半期まとめを、次回の記事にて。

 

蒸し暑くてなかなか寝付けないので、こんな時間のupになってしまった。

 

 

 

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冷や汗

改めて一般社会・定型発達の人たちと関わりながら生きていく決意をした数年前。

しかし当時から現在に至るまで、思い悩んでいる事がある(これも初めて書く話)。

「関わっていくであろう人たちに、どこまで特性を話して理解を求めたらいいのか」

「そしてどうしても、肉体的・心理的な負担をかけてしまう。お世話になりっ放しだけでいいのだろうか」

 

昨日の内容と重複するかもだけど、どこまで自分の障害の事を説明したらいいか、今も悩み続けている。

障害者に関わる機会の多かった人じゃなければ、特に私のように見た目で分からない障害の人間を目の当たりにすると、戸惑うのは当然だと思う。

実際色んな場面で理解と配慮をお願いしてきたけれど、大体

「どういう風に扱って(接して)いいか分からない」

と返され、スルーされてきた。

私の場合普段は全くと言っていいほど特別な配慮は必要ないけれど、今現在のように時々ドーンと体調が悪くなる。

この症状さえなければ、診断名を隠し通して生きていく事も出来る。

でもこの脳みそを持ち続ける限り、二次症状もついてくる。

そもそも【脳の異常発達】と言われてもピンと来ないと思うし・・・。

 

あとはやはり

「余計な負担をかけてしまうのでは?」

と考えると心苦しい。

私も子どもの頃から障害のある子たちと接する機会がとても多く、サポートを任される事も何度かあった。

相手からはもちろん周囲の人たちからも感謝されたけど、自由な行動が出来ないのが辛かった記憶がある(←ちなみに当時から意思表示が上手く出来ず、「やりたくない」の言葉すら言い出せなかった)。

今後自分も、関わる人たちに当時の私が味わった思いをさせてしまうかも知れない。

ならば、何かのカタチでそのお返しが出来ないだろうか・・・。

 

で。

障害者という存在に関してスピリチュアル系の本や記事を読んでみると

「ただ、いてくれるだけでいい」

とか

「関わる人たちが彼らの存在を通して、学んでいるのです」

などと書かれていた。

んが。

「ちがーーーーーーう!!!」(←マモー。って分かるかな)

私は脳みそ以外だったら定型の人とほぼ同じ働きが出来る。

迷惑をかけっ放しで生かされていくのは、やっぱり心苦しい。

申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。

 

このふたつの悩みを今、関係者に相談しているところなのだ。

何かいい方法ないかな。

 

 

そして、今日現在の私について。

公の場であんまり病状アピールするのもどうかと思うけど

「昨日のブログ、読み方によっては発作的に何かしてしまう風にも取れるよな・・・」

とふと思った。

のと。

どうしても気がかりな事があって、というか

「大丈夫かな・・・」

と心配になり、ズルズルとベッドから這い出してこれを書いている。

本当はブログを書いている場合じゃないし、人の心配をしている場合でもない。

うつ症状は少し治まってきたものの、胃の激痛なう。

なんである。

普通に仕事はしていて、帰宅してバタン→あだだだだ!な感じ。

元カレにも

「無理しないで休みなさい!」

って散々説教されてたなあ・・・懐かしい。

 

じゃなくて。

横になるべく、ベッドに戻ります。

冷や汗すごい。

 

 

 

 

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