Love Letter ver.2

神経発達症とHSPを併せ持ちながら今を生きる。その日常と思うこと。

チューリップの恋もよう。

f:id:nanairocolor:20180410110712j:plain

 

 

 

f:id:nanairocolor:20180410104943j:plain

 

何故かこの日はやたらと紫の花を撮りまくっていた。

白やピンクの花が大好きな自分には珍しく、フォルダが色っぽくなっている。

 

f:id:nanairocolor:20180410105446j:plain

 

ぴたりとくっついた桜の花びら。

何となくインスタ映えっぽい(気がする)。

 

f:id:nanairocolor:20180410111502j:plain

 

にーじ。

 

f:id:nanairocolor:20180410112744j:plain

 

ポピーが咲き揃うと、いよいよビタミンカラーの季節がやってくる。

最近ちょっと、夏が好きになってきた。

 

選ぶはきのこか、たけのこか。

 

すごい昔から聞く論争(?)で

「またかや?」

と思ったのだが、当の明治さんプレゼンツだったのか。

かく言う私はたけのこ一筋を長らく公言していたが、最近の【大人シリーズ】だと実はきのこが好み。

ゆえに【新党・どっちも党】になるんだろう。

 

お菓子やものを選ぶのは、気がラクで良い。

さてこれが人間関係や、自分の今とこれからに関して選ぶとなると。

もしくは、選ばれるとなると。

途端に弱々しい自分がおずおずと現れ、気を張っている自分とああだこうだとやり取りするのは今も変わっていない。

毎年この時期、新卒就職解禁のニュースを読むと、企業を選ぶどころか選択肢すらなく門前払いを喰らった卒業当時を思い出す。

選んでみたい。

選ばれてみたい。

ようやく自己否定の渦からは抜け出しつつあって、これまでの自分を

「よく頑張った」

と思えるようになり、人に言われても素直に受け入れられるようになった。

が。

大勢の中から、しかも自分自身も納得して選ばれた経験が無いため

【選ばれた人にジトーッと暗い眼差しとゆる~い拍手を贈る自分】

のイメージが浮かんでくる始末。

自分より上だろうな、という感じの人が現れると

「あ、どうぞどうぞ…」

と引っ込んでいくのも最早日常茶飯事と化していた。

選ばれなくてもなにくそ!となれる闘争心すら持ち合わせていない。

恋愛面も含めて、思い切りの良さが欲しいな~と切実に考える。

「オトコの事は(他の)オトコで忘れる」

みたいに(←実際に聞いた話)、思考パターンを書き換えられるようになりたい。

と、ぐじぐじ思い悩む春の夕暮れ。

 

春休みも近くになり、週末ともなるとそこら中にカップルがうようよしているので余計に考え込んでしまう。

上手く立ち回れない自分は一体(涙)

 

 

-----

 

 

選ばれなかった記憶、ひとつ思い出したので追記。

 

子どもの頃、習字教室で初めて書いた物を提出して結果を待っていた。

ところが。

同じ時期に入った子達はみんな新10級の認定を受けたのに、私だけが何も無かった。

当時の噂では、この級は誰でも出せばもらえると聞いていたので

「そんなにわたしのかいたのはいけん(=だめ)かな…」

と酷くショックを受け、親に訴えて辞めさせてもらった。

後にこれも噂として、先生が本部(?)にまとめて送る際に私の分を入れ忘れていたらしいと聞いた。

でも本当についうっかり、とはいえ自分ひとりだけ認められなかった悲しさ・悔しさが消える事は無い。

障害特性の影響もあり(後々母親から聞いた)学校でも家庭でも、そして人間関係でも否定されたり仲間はずれにされたり果てはいじめにあったりと、認められ肯定された記憶がこの当時は全く無い。

その忌まわしい記憶が積もり積もったまま、今に至っていた。

今でも【選ぶ・選ばれる】事に関して極端な拒絶反応が出てしまうのはこのためだと思う。

人に頼ったり委ねたりせず、何かとひとりで頑張ろうとするのは、自分は認められていないという意識が奥底にあったからだと。

この頃ひとりでもこんな私を肯定してくれる人がいたら、今の今まで迷走する事は無かったかも知れない。

けれど迷走し続けたからこそ、今の自分があるのも確かで。

「よくがんばったね」

と、ちょっとは胸を張って言ってみても良いんじゃないかとも思っている。

 

reprise

f:id:nanairocolor:20180224204749j:plain

 

7年弱身に付けていた『ほしゆびわ』を失くした。

これも今月起こった主な出来事。

実は前回の記事を書いたさらに前週の金曜日の朝、つるつるの路面で危うく転倒しかけて咄嗟に脇のブロック塀に手を付いた。

腰を捻っただけで済み、ホッとしてそのまま立ち去った・・・のだが。

手を付いた瞬間指輪が外れて雪に埋もれてしまった事に後々気付き、慌てて探しに行ったものの時既に遅し、だった。

今の『ほしジュエリーシリーズ』の抽選販売形式ではなかった頃に大奮発して購入したもので、石井ゆかりさんのお手紙は勿論、指輪の納品書までも大事に取っておいてある。

昨年から着ける指を薬指から小指に変えたのだが、サイズ直しをしないままだったのがいけなかった。

とはいえ、もしあのまま転倒して頭や腰を強打していたら・・・と思うと。

元々腰痛持ちゆえ通院が確実な上に、今の仕事が続けられない可能性が高い。

周囲にこの話をすると、口を揃えて

「指輪が守ってくれたんだよ」。

どうも私もそんな気がしている。

当然警察に届けは出したし、今ならそれこそメルカリのようなサイトで探すという手もあるけれど。

「まあ、いっかな」

と、指輪をしない手のひらの日々が始まった。

抽選販売は狭き門のようだし、かと言って他のブランドには興味が湧かないし。

ハンドメイドのやつが好きなので、そっちを当たってみようかと考えている。

やはり指先がどうにも心許なく寂しいから。

 

この件だけでも私にとってはおおごとなのに、先月に引き続き、物凄く色んな出来事に遭遇する事となった。

結果、またも体調を崩し、今も胃薬をせこせこ飲む日々が続いている。

「【いっぱいいっぱい】とはこのような状態を指すんだろうな」

確か昨年の今頃、こんな風に書いた覚えがある。

帰ってきた【いっぱいいっぱい】。

またかい(涙)

そんなこんなで、あまりにも色んな事が起こり過ぎてまだまだまとまっていない私の頭の中。

だけれども。

ゆかりさんの今日の占いの中に【守る・守られる】という言葉が出てきて、指輪の件も絡めて色々思い返している。

 

「一生、全力でお守りします」

皇太子さまが雅子さまに贈った言葉。

こうして書いていても未だにきゅんとするのだけど、私はそんな経験、していたっけかな・・・。

恋愛方面に限らず【守る・守られる】どころか、相手に委ねる事に対する苦手意識が根強いんだなと思い知らされた月でもあった。

しんどい、と言えない。

しかもしんどそうに見えないし、むしろ1人放ったらかしても平気でしょ?的に見られている事が苦しくなってきている。

その苦しさを自覚した途端、がくっと体調を崩す始末。

見られる自分と素の自分のギャップに苦しむのは今に始まった事ではない筈だったけど。

これもまたかい、だな。とほほ。

 

言いたい事・言いたかった事はたくさんある。

けれど、言ってしまったら。

そんな恐れ感情を見詰めて、軌道修正を始めた今日この頃。

HSPの特性でもあるけれど、変に気を回しすぎて自滅するパターン。

これも修正しなきゃな、と思う。

まとまらないままだけど、とりあえず今の考えているところである。

 

 

魅せない化けない君が好き

エンジェルセラピーオラクルカード ライトワーカーボックス日本語版説明書付 (オラクルカードシリーズ)

 

何がきっかけだったかは覚えていないが、Amazonでオラクルカードを見てみよう!とふと思い立ち、パッと目に留まったのがこれ。

なんとも柔らかな印象のイラスト。

「これ、実物見てみたいな」

と、先月大阪に行った際に蔦屋書店に立ち寄り、しばしうっとりと眺めていた。

そして再び思い立ち、傍らに置かれたこちらのカードでリーディング。

 

ロマンスエンジェルオラクルカード(日本語版説明書付)新装版 (オラクルカードシリーズ)

 

ドリーン・バーチューさんの著作の中でいちばん知られているカード(と思われる。居合わせた女の子たちも熱心に試していたし)。

このカードが素晴らしいのか私の直感が冴えてきたのか分からないが、問いかけに対して引いた一枚に深く頷いてしまった。

めっちゃ厄介なやつだよな、これは。

この一枚のカードに記されたメッセージを踏まえつつ、私にとっての2018年が幕を開けた。

まず私から変えていこう、と改めて。

 

ずっと以前このブログで【トリップしたい願望が全く無い】と書いた。

非日常・非現実的な空間やシチュエーションに食指が動かないのだ。

一人旅は好きで特に20代の頃はTシャツとジーンズ姿に最小限の荷物を持ってウロウロしていたものだけど、テーマパークや観光施設は殆ど近寄った記憶が無い。

今振り返ると、人々が暮らしを営むごく当たり前の日常を垣間見るのが好きなのかな?と思う。

そして地元の地名の標識を見た途端

「ああ、おうちにもどってきた!」

と怒涛のように安堵感が押し寄せてくる。

ここ何度か書いてきたように近年はライヴで遠出する事が多かったが、昨秋、地元でのゆずのライヴに参加して

「日常と地続きでライヴを観られるって、いいな」

とつくづく思った。

この日は大雨で行き帰りともずぶ濡れとなった。

でも荒天の中テンション高めの状態で、帰宅後と翌日以降の予定を考えながらのんびり歩いて帰るのはとても楽しかった。

と書きながら気付いたのだが、非日常に逃げ込む必要の無いほど今の自分は好い環境の中で過ごせているんだろう。

これもまたありがたや、だな。

 

2018年のバレンタインデーも終わろうとしているけど(これを書いているのは23時前)、近年すごーく思うようになったのは。

 

何かもう、かっこつけたり見栄張ったり強がったりしなくても良くない?

晒しちゃってもいいんじゃない?

覆ってるその紗幕、ぺろっと剥がしちゃいません???

 

年齢もあるんだろうか、恋愛にややこしい要素を求めなくなってきた。

互いの都合の良い所だけを見せ合い、欲求が重なる部分だけ繋がり合うのはもういいや、と。

病に臥せった父親と、付き添う母親の姿を亡くなる昨年まで傍らで見続けた影響も大きい。

どんなに好みなビジュアルであっても、いずれは何かしらの衰えが現れる。

人前でかっこいい姿を見せていても、一人になると苦悩で胃をキリキリ痛めていたりする時だってある。

でもそれ、恥じる事は何にも無い。

人間なんだし。

むしろそういう人の方が人間臭くて好きだ。

「『3月のライオン』の島田さんがタイプです!」

Twitterでも公言しまくっているほど。

そんな人間臭くて酒臭い人(私も飲む人なので酒を酌み交わしたい)をどーんと受け止められるような人間になる。

これも、2018年初頭の覚え書き。

 

 

 

ダイエット中につき。

今週のお題「バレンタインデー」

 

自分チョコならぬ、自分イチゴ。

バレンタインブレンドと名のついた豆をがりがり挽き、淹れてみたり。

 

f:id:nanairocolor:20180214204315j:plain

 

宝石のようにきらきらした高級チョコに手を出さなかった自分を褒めてやりたい。

と言いつつ、今日はイチゴのタルトを頂いたのだけど。

そのぶん歩数増やしたしまあいっか、と。

お店に並ぶイチゴもきらきら。

春だなあ。

その続き

【第3類医薬品】ビタミンC「イワキ」 200g

 

病院通いと服薬を続けていた頃は、よもやこの手のビタミン剤を手に取る事になるとは思わなかったな。

一生使えるオレンジページVOL.7 がまんいらずの食べやせレシピ (オレンジページブックス)ともども買って帰ったアスコルビン酸

薬やサプリで副作用が出る事も結構あるので、様子を見ながら摂ってみようかと。

飲み切るまでは念のため、お酒もやめてみる事にした。

しかし我が家には白角ちゃん(←角瓶)が鎮座しており、まずはこいつをちびちび飲み切って・・・。

次の新月にあたる2月16日から服用開始。

新月は新しい物事を始めるのにうってつけ、と言われるしな。

 

以前より本当に身体に気を遣うようになった(「綺麗になろう!綺麗になって(以下秘密)」という目標も大いにあるけど)。

もう以前のように刹那的な生き方やお金の使い方は出来なくなったな、と思う。

常に【その続き】を見据えながら。

 

最近すごーく思うのは、結局のところ人もものもサービスもナカミ次第なのかなって。

私が普段愛用しているのはロングセラーの商品が多い。

良質なものを適正な価格で造り続ける。

街で見かけて手に取り

「ああ、これだこれだ」

という安心感。

多少のマイナーチェンジはあっても、芯にあるものが変わらない限り、人は自然と引き寄せられていくんだろうな。

と、目の前にあるリピ買い間近のコスメたちを見て思う。

 

私もナカミがみっしり詰まった人間でありたい。

冒頭記したように、外見に手や気をかける一方で自分の芯にあるものをじっくり見詰める時間が増えている。

「関わる人やその場の空気に流されがちで、気乗りしない・ときめかない事に対しても【ノー】が言えず行動も起こせなかったな」

「流されない心の強さを持ちたい。どうすればいいかな」

瞑想ほどではないが、明かりを消した部屋でキャンドルを点し、揺れる炎の中で物思いに耽っている今日この頃。

自分に還る時間って、やっぱり大切。

つられない、つられない。

繋げない時間、繋がりたい人。

f:id:nanairocolor:20180113105840j:plain

 

気ばかり競ってもしょうがない。

ゆっくりゆっくり、わたしのリズムで。

 

 

前記事の続きというか蛇足と今思うところを。

 

ライヴ参加に関して、昨年から意識的に減らし続けている事がある。

「なーんだ、そんな事か」

と思われそうなのだが、先行受付の申し込みをしなくなっている。

ずっと以前の記事に書いた気もするが、未だにこの慣行は、チケット代の件以上に腑に落ちずにいる。

あれは一体何なんだろうな。

最初の先行申し込む→落選メール届く→その時には次の先行受付始まってる→申し込む→(以下繰り返し)、という。

「そもそもこんなに時間と通信費割いてまで申し込みしなきゃいけないもの?」

おまけに当選したらしたで各種手数料も上積みされてしまう。

気分的な疲れと消耗と同時に、心底うんざりしてしまった。

という訳で

「外れたら外れたで、まあいっか」

と、今は最小限の申し込みにとどめている。

そうは言っても、元々ライヴ大好き人間ゆえ遠ざかる事には寂しさも・・・と思いきや。

意外と今は、穏やかな気持ちでいられている。

「当落やお金やスケジュールのやり繰りにイライラしない生活って、なんてこんなに幸せなんだろう・・・」

日々仕事などでどうしてもせかせかせかせかする割合が多い分、プライベートはゆっくりの~んびり過ごしたい。

「無理して足繁くライヴに通わなくても、CDやレコード(あと今はradikoも)で十分!」

目から鱗ぽろり、な気分。

 

大体ファンクラブなるもの自体、そんなに関わりたいとは思わない。

+αのコンテンツ(ブログやQ&Aなど)には興味あっても、やれ会員限定ライヴだイベントだ握手会だと触手が伸びてきても

「いや、遠慮しておきます」

となる。

その更なる+αの元となるお金を払うんなら他の事に回すよな。

それなりの額を投じて

「貴女はスペシャルな存在(会員)です」

と高級シャンパンよろしく丁重に扱われるのも結構な事だとは思うけど。

 

【ナンバーワン】じゃなくても、特別な【オンリーワン】であればいい。

あの曲をふと、思い出した。

年々いい曲だよなあと思えてきてる(今更ながら)。

 

「『アーティストにカネ出さないヤツはファンとは呼べない』という風潮が蔓延してしまうのでは、という危惧がある」

と、Twitterで書いた。

でもよく考えてみると、ランク付けってすげーくだらないよなあと思う。

人それぞれお金を出さない(出せない)理由があるし、何を優先してどのくらいお金を遣うかも、全くもって個人の自由。

の筈なんだけどな、何だかなあ・・・。

このブログで度々触れてきた、昔関わったカルト教団を思い出した。

愛情も信仰もおカネで図るものでは決して無い。

だから、やれやっと音源や掲載された音楽雑誌を買いました!程度のものであっても変に悪びれる事は1mmも無いと思うのだ。

 

音楽に限らず、近年やたらと右に倣うよう仕掛ける風潮を感じる。

あと、今の世の中何から何までやたらと早い気がする。

先述の先行じゃないけど次!次!とせっついてくるというか。

気を休めるどころかひと呼吸する暇も与えません、みたいな。

何でそんなに急かされなきゃいけないんだろう。

みんな、疲れちゃわない?って。

 

自分が望んでいる事。

心から楽しい!と感じられる人やその繋がり、環境。

切れ目無く流れてくる情報や言葉に呑まれる前にその繋がりから離れ、自分と対話する時間を持つ事。

あとはお金の有無関係なく、私を特別な存在として受け止めてくれる男性を見つける事。

これがいちばん大事(今回歌詞それとなく引用率高いな・汗)。

まずは自分がなりたい自分を目指そうと思っている。気愛。