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Love Letter ver.2

アラフィフ間近・しかし美魔女には程遠い発達障害者の日常と思う事など。

おひさま

冷えからきた足腰の痛みにウンウン唸りながら横になり、目覚めた途端謎の猛烈な頭痛で朝を迎えた。

冷たい雨から一転、太陽が顔を覗かせている。

「昨夜寒かったあ~。やっぱりおひさまっていいね!」

から会話が始まり、昨日の急激な気分の変化についても話してみた。

私の周りはうつ寄りの人が多いので、こんな時は分かち合いができて本当に助かる。

やはり、空模様と空気が変わってから気分的に落ちた人も多かったと知る。

寒さと曇天は大敵。

「寒いね~。こんな日は酒よりも人肌に縋るのがいちばんだね!あの温みが・・・」

などという冗談すら出てこないぐらい寒かった、あの場は(思い返しつつ)。

 

この分かち合いの時、ふと気付いた事がある。

数年前一般就労を始めるにあたり、先方から必要な支援を問われた。

当時は他の人たちと同様に、就労支援員さんやジョブコーチさんにも入ってもらっていたけれど、いちばん有り難かったのが、その先方の担当の方が障害特性を熟知した上で、私の意志を可能な限り尊重して下さった事だった。

「困った事があれば、その都度相談してアドバイスを受けながら自分で乗り越えていきたい」

「それでも環境の変化や音の事(聴覚過敏)でどうしてもストレスが溜まりやすいので、何か書くものを用意して頂けたら。それを読んでもらえたら嬉しいです」

と、たどたどしくお話しした。

元々喋る事が極端に苦手で、思う事を書き散らすばかりだったのが徐々に減り、辞める前には口頭でのやり取りが当たり前になっていた。

障害者への支援のあり方は人それぞれだと思うけど、私の場合は一方的に

「仕事をする上で何か困った事は?」

と根掘り葉掘り聞かれて手や口を出されるより、たどたどしい話を静かに聞いてくれて時折言葉に詰まったら助け舟を出してくれるだけで十分だった。

発達障害や感覚過敏が理解できなくても、冒頭に記したおひさまの話や例えば

「(仕事で)ちょっとしたミスなら誰にでもあるけん、次挽回すればいいがん!」

と、私の言わんとする事のほんの端っこだけでも分かち合いができたら、心も症状もすとんと落ち着く。

これは仕事に限らず、生活全般において。

今思えば当時私に関わってくれた人たちや、元カレにもこの点をちゃんと伝えておけば良かったのだろうけど、何しろ喋りは今に至るまでまだまだ発展途上。

なのだけど。

いや、だからこそ。

もし今どのような理解と支援が必要かを問われたら、電話でもメールでもLINEでも、もちろん対面でも。

「ではまず、ゆっくりお話ししませんか?」

と答えるだろう。

【障害者への理解と支援】と書くとすごく大仰になってしまうし、実際当初は私も専門書や当事者本、ネットの情報を掲示しながら必死こいて説明していたものだけど。

重度の方や日常生活をおくる事が難しい方へのそれは別として、ある程度自分で対処しながら生きている人への支援は、【その人に向き合って、お話しする事】が大切だと思う。

私を目の前にして、障害者だからと肩肘張って接してこられると悲しいし寂しい。

「変に構えないで!」

と心の底の底から土下座レベルでお願いしたい、本当に。

 

でも。

現在までの日本では、障害者とまともに接した人はまだまだ少ないと思う。

私も今までに何度か関わるのは初めてだという方にお目にかかってきたし・・・。

今や障害者と健常者が同じ職場で働く時代。

「『いろんな人がいる』事を知る」

ためにも、まず学校教育の現場から変わっていって欲しいと願う。

相互理解・相互支援の世の中を。

「告知する・しない」

「どこまで理解と支援を求めるか」

とその都度ぐじぐじ悩むの、私もほとほと疲れ切っているので(涙)

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ふと

訳も無く切なさを感じてしまうのはどういう事なんだろう。

否。

訳には、薄々気付いている。

ただ認めてしまうのが怖いだけなのだ。

何事も無かったかのように、いつもの自分のままでいられたらいいんだ。

いつかはこの感情も鎮まるはず。

それなのに、鎮まるどころかどんどん膨れ上がっている。

どうしたらいいんだろう。

 

と。

心のみならず呼吸までも詰まりそうだったので、禁酒を破り、少しだけ嗜んだのだった。

美味しかった。

明日から願掛け禁酒再開、がんばろ。

 

 

 

 

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心の休息と整理整頓

このブログを書く時、いつも鬼のように推敲を重ねてのちに公開している。

なのだけど。

前回のズタボロ感ときたら・・・orz

心身共々、限界を超えた状態だった事に気づかぬまま無理していたと思う。

そんなこんなで最近は身内の付き添いやそれに伴う買い出しもお休みさせてもらい、仕事以外はあまり出歩かずのんびりと過ごすようにしている。

胃の痛みがやっと治まってきた。

今月末までに意地でも体を立て直さねば。ねばねば。

 

前回書いた、診断名を公表するか・特性や症状の理解と支援をどこまで告知するかで散々悩んだ件について。

今でこそかなり認知されて子ども向けの支援も始まっているけれど、当時は犯罪者のイメージや各々の二次症状が取り上げられる状況だった。

就活でも発達障害で精神手帳持ちと告げると

うつ病でしょ?精神の人は続かないからダメ」

と面と向かってバッサリ切られ続けた(これ、差別だと思うのだがどうなんだろう?)。

いざ決まったら決まったで、それなりの配慮がなされた他の障害の人と違っていきなり

「(特性に対する)配慮はしません。ウチのやり方に合わせてもらいます」

の一言。

ということで、基本的にスルーされながら今に至っている。

私は元々同じ立場・同じ待遇で働くのが最大の目標だったし、体調管理も自分で出来るから構わないけど、本来はあってはならない事なのだ。

配慮無し・仕事内容は健常者・待遇だけが障害者(=短時間労働で時給は最低賃金)なのは、たまったものじゃない。

 

「障害をオープンにするか、クローズにするか」

こちらも悩み、試行錯誤を重ねて今に至っている。

伏せたところで長らくうつ病に悩まされた過去は消せないし、ならばとオープンにしてもまともな配慮は望めない。

人手不足やコスト削減が言われるようになった、労働環境。

さらに言えば、(障害者の事に限らず)物事に無関心で不寛容な世の中の空気もひしひしと感じる。

「もっと私のような者に関心を持ってもらえたら。そのためにも一方的に配慮を求めるだけじゃなく、『出来る事』を見つけて伸ばしていかなきゃ」

そして、公表すれども一切の配慮は求めないと決めたのだった。

 

こうして書いていて、自分にとって改めて、公表する事の意味の大きさを実感する。

他人から肯定されようが否定されようが、これは持って生まれたもので、一生抱えていくものだから。

これまで人付き合いは極力避けていたから、初めて深く関わり合った彼との付き合いはいとおしさと苦しさが常に綯い交ぜになっていた記憶がある。

こんな私を懸命に理解しようとしてくれただけでも嬉しくて、つい自分の身体に無理を重ねてしまった。

あまり配慮を求め過ぎると嫌われてしまうのでは、という恐れもあった。

この恐れは今でも、人間関係全般において持ち続けている。

 

どこまで委ねたらいいのか。

そもそも委ねて良かったのか否か。

その都度公表の是非から悩み続ける事に嫌気が差す。

いつまでこんな思いをしなきゃいけないんだ。

受け容れてもらえない、否定される事への恐怖と苦しさがある。

でも、特性ごと自分を押し殺して振る舞い続けるのはもっともっと辛い。

いずれにせよ悩み苦しむのは、本当に嫌だ。

 

再び健常者に囲まれて生きるようになって数年。

極力人付き合いを避けてきた上にうつ病+引きこもり時代を過ごしたツケが今になって廻ってきているな、とひしひしと感じる今日この頃。

この1年、殊に今年に入ってからの身辺の騒がしさとその密度が凄まじい。

慌しい日々に追われながら、自分を取り巻く状況や気持ちの整理も同時進行。

どうもその無理が祟ったらしい(←今ここ)という現況。

とりあえず、身体を治さない事には始まらない。

明日へ立ち向かっていく。

めっちゃ丸腰で。

 

そして今回もほぼ完徹で朝を迎え、身支度を始める事が確定したのだった。まる。

 

 

 

 

 

 

 

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どれも、みんな、わたし。

毎年冬から春先にかけて体調を崩しがちだったのが、今年は何事も無く春を迎えた。

と書きたかったけれど、ここへ来てとうとうダウン。

酷い頭痛と胃痛の真っ只中、これを書くためにベッドからずるずると這い上がってきた。

今年に入ってから多忙さに拍車がかかった上、思い悩む事も増えていた。

先ほどまで

「なーんにもしない・考えない時間っていいなあ」

と、横になりながら胃を擦りながら月光浴などしていた。

 


Spitz 恋のうた live

 

この曲か『猫になりたい』を帰り道、空を見上げながらほにゃほにゃと唄っている今日この頃。

 

 

ううむ。

 

いつもなら大体の書く内容とタイトルを決めてバーッと書き始めるのだが今回、ここまでにえらい時間がかかっている。

基本的に診断名や具体的な症状から個人的な思考に至るまでオープンにしているけど、これから書く事は、おそらく初めてではなかろうかと。

今に至るまで、一人密かに悩み続けてきた事について。

 

 

事の発端は先月、友達として付き合い続けてきた元カレとの完全な別れ。

1年前に別れを切り出した際は

「好きな人ができたから」

「将来的に、支え合って生きていく事は難しいと思う」

と告げたのだけれど、もうひとつ、上手く言葉に出来ない別の理由があった。

 

発達障害の診断を受けて、もうすぐ9年目になる。

当時から一般就労を目指して就職に漕ぎつけるも、特性に対するまともな理解も支援も得られず退職→別の施設に通所、を繰り返す数年間だった。

そのうち

「診断名をオープンにした上で、一切の支援を受けずに定型発達者の社会に関わっていきたい」

と思うようになり、発達支援の専門書を読み漁る事から学びを始めた。

こんな身体だけれどみんなと同じように学んで、働いて、生きていきたい。

この思いは今も、ずーっと変わっていない。

 

それでも、当然の事ながら特性ゆえ完治するものではなく。

疲れ易いし、疲れが溜まると感覚過敏になり、果てはうつの症状も現れる。

言葉遣いを誤り、仕事では凡ミスもやらかす事もある。

おまけに神経を遣い過ぎてしまうため、どんなに疲れて精神的に参っていても、無理を重ねてしまうのだ。

発達障害うつ病に加え、HSPの可能性も高い。

私自身はすとんと腑に落ちて、気構えも出来ているけれど、さあ、これをどうやって説明するか。

ってか、これをちゃんと理解して受け容れてもらえるのか。

いやその前に、障害特性についてどこまで告知したらいいんだろう。

関わる人が増える度、告知も含めて、自分を晒す匙加減を事細かに考えている。

大抵、腑に落ちない的な反応が返ってくるのだけれど・・・。

「一生懸命調べてみたけど、わからんかった」

と、当の元カレにも言われた。

大体こうして書いている本人が

「なーんてややこしいヤツなんだろ私・・・」

と頭を抱えてしまう始末ゆえ。

 

 

こんなややこしい特性と気質を持ちながらも、それでも当時は、体調面も含めて彼を支えながら一緒に生きていくつもりでいた。

でも今は、離れて良かったと思っている。

外で体も気も張りながら人間関係を成り立たせようとしている分、プライベートで関わる人の前では、本来の自分でありたい。

実際仕事で疲れ切っててのんびりおうちデートしたい気分であっても

「外出よう!散歩しようよ~!」

と言われてつい無理をしてしまい、結果体調を崩してしまった事もある。

体調の安定のためにも、告知と理解はとても大切な過程。

別れを告げてからも度々元サヤを所望されたけど、丁重に断った。

障害者・健常者関係無く、支え合える関係でありたいと思うし、そのための努力を重ねていく気も満々だから。

 

そもそも相手が受け入れてくれる・くれないに関係無く、私はずっとこの体で生きていく。

公の場で四苦八苦しながら立ち回るのも

自宅でぐったりして、どんなに甘いムードになっていたとしても

「あ~いけんわ、耳もくたびれとる・・・。ごめん、ちょっと寝とっていい?」

と言った傍からぐうすか眠りこけるのも。

どれもみんな、私なのだ。

 

 

 

 

すべては自分次第で

前回(お題の前の記事)書きそびれた事を少し。

 

「運命的なもの」

に対して否定的だったのは、自分の波乱だらけの半生ゆえであったと今は思う。

お世辞にも裕福と言えない家庭に【先天的な脳の機能障害】を抱えて生まれてきた事。

学校に全く馴染めなかった事。

酷いいじめに遭った事。

病気に苦しんだ事。

就職に失敗して引きこもった事。

地震で自宅が取り壊しになった事、などなど。

一方で、すべてが満たされている(ように見える)人たちも存在する。

これを運命の一言で片付けられたら、たまったものじゃない。

 

ごく最近まで、こんな風に考えていた。

けれど。

前回書いたように、これまで色々あったけど、何とか生きてこられている。

これって凄い、幸せな事なんじゃないか?と・・・。

 

持って生まれた身体や家庭環境、人生のその時々で出会う人や物事より、それらとどう向き合っていくかが大事だと考えるようになった。

捉え方次第で、意識は変わる。

現実と向き合っていく原動力になる。

良くも悪くも、運命を変えていくのは他ならぬ自分自身だと。

 

こんな心持ちで、今日も朝を迎えようとしている。

 

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ムリソプラノ

今週のお題「カラオケの十八番」

 

すごい久しぶりに書く、お題。

いつも放置状態ですみません・・・。

 

で、本題。

 

「今も昔も、久保田早紀さんの『異邦人』です!」

 

以上。

なんせめっきり(少なくとも30代以降は)カラオケに行かなくなったもので・・・。

そこで昔、ヴォーカルレッスンに通っていた時の話を。

当時は小室系全盛で、如何にして地声でキーの高い曲を唄いこなすか?という暗黙の了解のもとにレッスンに取り組んでいた。

私は元々リズム感が悪く、カラオケでは昔の歌謡曲や歌い上げる感じの曲を選ぶ事が多いのだが、この頃は果敢に(?)ヒット曲に挑戦していた。

友人知人たちもレッスンに通っている事を知っており、誰もがキーを下げて唄う中、当然のように原曲と同じキーで唄う事を選んだ。

そのためにも普段は車を運転しながら、どんどんキーを上げて練習したものだった。

 

私の普段の音域は、アルト(と思う。あくまで自己判断ですが)。

なのだけど

「これ以上高い声出ない!もう無理!」

と思いながらも、地声も裏声も完璧に出し切って唄えた時は本当に嬉しかった。

この経験から、当時は【ムリソプラノ】と自称していた。

 

思えば演歌少女で地区のカラオケ大会で唄いまくっていた頃から、周囲の大人たちに

「歌の時だけはガラッと表情が変わる」

と評されていたと後に聞いた。

引っ込み思案だった私が己を解き放てる数少ない手段が、唄う事。

腹式呼吸を忘れないためにも、ぼちぼち唄いに行きたいなー・・・と思いながら今に至っている。

自転車に乗りながら、あるいは自宅で料理しながら小声で唄ってささやかな自己解放を試みる日々。

 

 

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運命の人

今回のタイトルと大まかな書く内容を決めて「さーて」とキーを叩こうとした瞬間、隣の部屋のおっさんが突然

♪ほぉ~り~ゆ~♪

と、恐ろしく調子外れの唄(というより奇声)を発した。

全然メロディ違うけど、まさかこれじゃないよな・・・。

 


The Platters - Only You - Lyrics

 

名曲台無しorz

 

一昨日のTwitterにて、あるきっかけから、斉藤由貴さんが随分前に上梓した『運命の女』について投稿した。

学生の頃愛読していた『月刊カドカワ』の連載で、確か後に単行本化されたような。

記憶を辿りながらぐぐってみると、1990年に出版されていた。

で、今さらに色々調べてみたところ、私が最初に手に取ったのはこちらだった。

 

双頭の月 (運命の女)

 

その後に『運命の女』『透明な水』『NOISY』を読んでいた覚えがある(エッセイも読んでいたかも)。

どれも20年以上前の作品。

その前の1989年からこの雑誌を読んでいて、掲載された各ジャンルの表現者の中で衝撃を受けた書き手のひとりであった。

(なのでTwitterで呟いた「再販希望」は取り消そうと思う。これは読者の胸の内に収めておいた方がいい作品たちだよねー、とAmazonレヴューを読みながら)

 

昨年スピッツのライヴを観に行く前、何気なく

「ワンマン見るのは10年ぶり!」

と呟いた直後にげげっ、となったのだけど。

狂ったように本や音楽を読み聴き漁った中学~短大時代。

私自身はさして昔の事とは思えなかったのだけど、こうして改めて出版年など見ると、去った歳月と自分の年齢を痛感する。

波乱だらけの半生だったけど、どうにかこうにか生きてこられているんだなあと。

 

うんめいのひと。

 


スピッツ / 運命の人

 

♪あーいにーぃじゅ~♪(冒頭の奇声を消す意味も込めて)

 

話変わって。

これまでスピリチュアルに関わる機会が多かった割に、運命や宿命については半信半疑だった。

「運命的な~」

というワードに対してフン、と鼻で笑っていた(←大人気ない)。

なんだけども、ここ何年か

「もしかして、これって」

と思えてしまう、思わざるを得ない出来事がちらほらと私の身の回りでも起こるようになってきた。

運命と書くと大袈裟な気もするけど、後に振り返ると

「どう考えてもこの道に進むしかなかったよね」

「こういう展開になるよね」

と納得せざるを得ないような事。

 

「運命的なものって、本当にあるんじゃないか?・・・いや、あるな・・・(小声)

 

おっかなびっくりながらも肯定し始めた、【しじうに】の春。

 

 

 

 

 

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